あなたの全てを愛させて

 世間の恋人同士と言うのは、一体いつどんなきっかけで関係性を変えてきたのだろう。
 明日の会議で必要な書類をコピー機に飲み込ませながら、私はチラリとデスクに向かう彼を見る。いつも通り仕事モードの彼の顔を眺めながら、ここ数週間の出来事に思いを馳せ、そんな事を考えていた。 
 きっかけ。私たちのそれは、バレンタインに贈ったチョコレートであり、ホワイトデーのお返し選びという名目のデートであった。それ以来少しずつ連絡頻度が増えていったし、そのデートでもグッと進展したとは思う。ホワイトデー当日だって、お返しとは別で仕事後に食事にも行った。
 数ヶ月前に比べれば、私たちの関係は格段に変化していっている。だけど、果たしてこの状態でいいのだろうかという、拭いきれない不安が私の中に渦巻いている。 
 愛されている、はずだよな。そんな事を考えため息をつくと、ガシャンガシャンととめどなく資料を吐き出していたコピー機が不意に止まった。赤いランプが点滅し用紙補充の文字を確認してもう一度小さくため息をつき、コピー用紙が置かれた棚へと足を運ぶ。横目にチラリと倉庫の扉が目に入り、胸がざわつく。あの一件が、私たちの関係の変化に強く影響しているように思うのは、私の気のせいなのだろうか。

 先週半ばの事だ。今取り掛かっている案件のために過去のデータが必要になったのだが、そのいくつかはパソコンのデータベースの中に入っていないものもあった。まだアナログの書類で管理していたかなり昔のものとの比較が必要だという事らしい。
 その資料を探しに私と尾形が倉庫を探っていた時に、うっかり私が棚の上の段ボール箱を落としてしまった。咄嗟に近くにいた尾形は私を庇ってくれたのだが、その中に入っていたらしいガラス製の置物が割れてしまい運悪くバランスを崩した尾形の手がその上へと着地してしまった為、かなりざっくりと手のひらを切ってしまったのだ。
 ダラダラと流れる血を見ながら私は半泣きで謝罪をし、急いで人を呼んで救急箱を片手に尾形の手当てをした。 
「ごめん、本当にごめん」
「ははぁ、本当にお前はそそっかしいなぁ? ……っ!」
「ごめん、ちょっと我慢して。消毒しないと化膿しちゃう……うぅ〜」
「おい、そんな薄目で見てたらちゃんと出来んだろうが」
「だって傷口、結構グロい! 私こういうの見るの苦手!」
「ったく」 
 怪我をさせて申し訳ない気持ちは十二分にあるのだが、同じくらいに血や傷口を見るのは苦手だと言う気持ちがあるのも正直な話だった。それでも、私のせいだという自責の念がある。わざと傷口を見せつけてくる尾形に「ちょっと! 見せないで!」とギャーギャー抗議しながらも、ブラウスが汚れるのも気にせず私は尾形の手当てをし、なんとかガーゼをあて包帯を巻いた。
 傷の割に痛がることもなくいつも通りの尾形を見てほんの少し安心しつつ、私たちはまたギャンギャンと言い合いをした。心配そうに見ていたフロアの人間もそんな私たちの様子に安心をしたようで各自の仕事に戻っていく。ただ一人を除いて。
「尾形、大丈夫か」
「月島係長。はい、まあ一応業務に差し支えはないです」
「そうか。あまり無理はするなよ」
「月島係長、すみませんでした。私の不注意で……」
「仕方ない。倉庫ももう少し整理しないといけないな。繁忙期が過ぎたらみんなで少しずつ片付けよう。割れたものたちは他の奴が片付けてくれたから、あとで礼を言っておけ」
「は、はい! すみませんでした」
 いつものように淡々と、テキパキと、私たちにそう月島係長は声を掛けた。深々と頭を下げる私に、「ミョウジには怪我がなかったようでよかったよ」とだけ小さく告げ、また自分の席へと戻っていった。
 
 考え事をしながらも、ビリビリと乱雑に包みを破いて補充する。機械はまた音を立てながら資料の用紙を吐き出していった。
 あと何枚で終わるのだろうと操作画面を確認し、視線をまた彼の席へと移す。ひと段落ついたのか、今は彼の姿はそこにはない。しばらくあそこにいたようだったから、トイレかタバコ休憩にでも行ったのかもしれない。
 本日何度目かわからないため息を口から漏らすと、後ろから影が差した。一瞬彼かとドキリとしたが、耳に届いた声は聞き慣れた、だけど彼とは違うものだった。振り向くとそこにいたのは――


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