エッグノッグ

 ひゅう、ひゅうと苦しそうに息を吐く娘のおでこに触れる。先ほどよりもまた熱が上がっているように感じる。
「もう病院やってない時間だから、明日行こうね。今は、暑い? 寒い?」
「ん……ちょっと、寒い」
「じゃあもう一枚毛布掛けようね」
 そっと毛布を重ねてかける。心細そうに私の手を握る娘の指先は、あつい。
「お薬飲む前に少しでも何か食べれる?」
「食欲ない……」
「お粥とかは?」
「食べたくない……」
「うーん、プリンやゼリー」
「それなら、食べれるかも……」
 言ったものの、家にはプリンもゼリーもなかった。どうしたものかと思っていると、スマホが震えた。
『ムスメの体調はどうだ? もう少しで帰るから、いるものがあれば買って帰る』
 ナイスタイミングと思いながら、近くのコンビニでプリンかゼリーを買ってきてと返事を送った。

 十数分後、外は寒いはずなのに慌てて帰ってきた基さんの額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「すまん、ゼリーはコーヒーゼリーしかなかった、あの子食べられないよな? プリンもなくって、もう一軒先のスーパーも見てみようと思ったらちょうど閉店時間で間に合わなかった」
「わざわざ行ってくれたの? ありがとう。でも、そっかあ」
「一応スポーツドリンクと、カットフルーツは買ってきた。これなら食べれないだろうか」
「ありがとう」
 買い物袋を受け取ると、基さんはバタバタと上着を脱ぎ手洗いを済ませて娘の様子を見に行った。
 赤ちゃんの頃はよく体調を崩していたものだが、大きくなるにつれそれも減っていった。保育園で風邪などが流行ってもケロリとしていた娘だったから、久しぶりの発熱に私も基さんも狼狽えていた。
「パパ、おかえり」
「ただいま。すまん、プリンもゼリーもなかった。りんご切ったやつならあるけど、食べれるか?」
「うん、多分」
「よし、じゃあ持って来よう」
 基さんは娘の頭を撫でた後、立ち上がる。先ほど受け取った買い物袋からカットフルーツを取り出して渡すと、また娘の元へと戻っていった。
「りんご、美味しい」
「そうか。よかった」
「……でも、冷たくって、ちょっと寒いかも」
 彼女がそう言うと基さんは慌てて近くに置いていたパーカーを娘の肩に掛けた。
「プリン、食べたかったなぁ」
「プリンも冷たいぞ」
「でも食べたかったんだよ」
「明日また、買ってきてやる」
 時折ゴホゴホと咳き込む娘の背中をさすりながら、彼はそうやって彼女を宥めていた。それを見て、ふと思いつきキッチンへと足を運ぶ。
 冷蔵庫から卵と牛乳を取り出して、ボウルの中に卵を割り入れ溶きほぐす。お砂糖は少し多めに、牛乳も少しずつ加えていった後、小鍋に移して弱火でじっくりと温める。
 娘のお気に入りのマグカップにとろりとながしこむころには、甘い匂いに誘われたのか二人が部屋からそっと現れた。
「これ、何の匂い?」
「エッグノッグよ。飲むプリンみたいな、温かいミルクセーキみたいな飲み物」
「ふーん……美味しそう」
「仕上げにシナモンを少しだけかけて。熱いから、気を付けて飲んでね。体が温まるよ」
 娘は恐る恐るマグカップを受け取って、ふぅふぅと何度も息を吹きかけ冷ましていた。
 まだ小鍋には少しだけエッグノッグが残っている。小さなカップを二つ取り出して、基さんに問い掛ける。
「これ、本当はカクテルなの。もちろん今はアルコールは入れてないけど、ウイスキーを入れても美味しいのよ。基さんの、入れる?」
「そうなのか。いや、でも今日はいい。そのまま俺にもくれ」
「ん、了解」
 そのままカップに注いで、私たちの分は気持ち多めにシナモンを振りかける。皆でテーブルを囲んでふぅふぅと冷ましながら、ゆっくり口をつける。
「どう? これなら大丈夫?」
「うん、あつくって甘くって、美味しい」
「温まるでしょ」
 少しずつ少しずつ時間をかけながら飲み干す彼女は、エッグノッグを気に入ったようだった。
「俺の子どもの頃は、たまご酒だった」
「パパ、子どもなのに、お酒飲んでたの?」
「甘酒で作られたやつだけどな。一度だけ、機嫌がよかった親父が風邪気味な俺に作ってくれたことがあった」
 基さんの子ども時代の話は、なかなか聞く機会がないから少しでも取りこぼしのないように聞いてしまう。それは娘も同じようだった。
「パパの子どもの頃、どんなだったの? パパのパパは?」
 だけど純粋な興味の目に、基さんは苦笑いをして口を噤んだ。彼の生い立ちは、まだ子どもの娘の耳に入れるには少し難しく伝えづらいのは、私でもわかる。
「ほらほら、りんごも食べたしこれ飲んで温まったのなら、薬飲んでさっさとベッドに行きましょ。悪化しちゃうわよ」
「えー……はぁい」
 先ほどよりもほんの少しだけ元気を取り戻したかのような娘は、口を尖らせながらも大人しく従った。嫌そうな顔をして薬を飲んだ後、歯磨きを済ませベッドへと再び潜り込む。
「明日には熱下がってるかなぁ」
「下がってるといいね」
「起きて元気になってたら、病院行かなくていい?」
「その時の状況次第ね。ほら、ちゃんとお布団着て」
 まだブツブツと何か言ってるけれどベッドの脇に腰掛けて頭を撫でている内に娘は静かになり、すぅすぅと寝息をたてた。薬のおかげか、額の熱さも少し和らいでいる。音を立てないよう気を付けて部屋を出ると、基さんがキッチンで洗い物をしてくれていた。
「ありがとう。ごめん、ご飯すぐ用意するね」
「さっきのエッグ……なんとかのおかげでちょっと腹の虫が落ち着いてるから、気にするな。それより熱、大丈夫そうか」
「ちょっと落ち着いてはきてるけど、ってとこ。早く治るといいんだけど」
 腹の虫が落ち着いたという割にお風呂より先にご飯が食べたいという基さんの為に夕飯を温め直す。お味噌汁をよそいながら、先ほどのやり取りを思い出して口を開いた。
「珍しいね、子どもの頃の話したの」
「そうだな」
「基さんが風邪引いたら、たまご酒作ってあげるね」
「さっきのやつでもいいぞ。美味かった」
「まあ基さんが風邪引く事なんて、この先もあるのかわからないけど」
 少なくとも出会ってから十年近く、一度も風邪を引いていない彼にそう笑いかける。それもそうだと笑う彼が、これからもずっと健康であって欲しいと思った。

現パロでもつい幼少期に不遇な環境だった月島さんを想定して書いてしまうのですが、そんな彼でもこういう一コマがあればいいなと思います。