月島編

 その箱の存在に気付いたのは、半年ほど前だった。
 
 同じ職場で上司であり、そして付き合って三年になる基さんと一緒に住もうという事になり、お互いの荷物をまとめ引っ越し作業をしている時だった。基さんにしては珍しい、少し大きめの可愛らしいお菓子の箱が押し入れの中から出てきたのだ。
「これ、お菓子? ……じゃあ、ないよね。流石に」
 そう問い掛けた私に、基さんは一瞬びくりと肩を小さく震わせたのを見逃さなかった。けれども、すぐにいつもの冷静な顔に戻り、
「ああ、流石に菓子は入ってないぞ。ちょうど手頃な箱だったからな、色々仕舞うのに使ってただけだ」
「ふうん? 写真とか? 見ていい?」
「ダメだ!」
 急に大きな声を出され今度は私の方が肩を震わせた。驚いた顔で基さんを見ると、バツの悪そうな顔をした基さんが腕を伸ばし、箱を渡すように促した。
「大きな声を出して悪かった。だけど、この中は見ないでくれ」
「……大事なもの?」
「まあ、そうだな」
 そう言って基さんはその箱を私から受け取り引っ越しの荷物の中に大事に仕舞い込んだ。あれ以来、あの箱を見かけてはいなかった。
 
 だが、今まさに目の前にその箱を発見してしまった。基さんは昨日から出張に出てしまっているので、久しぶりに予定のない一人の休日。少し肌寒くなってきたのでそろそろ衣替えでもするかとクローゼットの整理をしていると奥の方から見覚えのあるその箱は出てきたのだった。隣にあった革靴の入っていた箱はほんの少し埃を被っているのに、この箱は綺麗なままで、最近もこの箱を開けているように感じた。
 あの時基さんは何故あんなに必死に箱の中身を見るのを止めたのだろう。
 人と言うのは、ダメだと言われると余計に気になってしまう生き物で。有名な昔話だって、見るなと言われたのに気になってしまい、扉を開ければ鶴は飛び立ってしまったし、箱を開ければ煙に包まれておじいさんになってしまった。これらの物語の教訓を生かすのであれば、見てはいけないと言われたものは見ないことだ。
 だがしかし、はいそうですかと簡単に諦めがつかないのが私の悪いところ。
 仕事で注意される事もプライベートで喧嘩をする事もあるけれど、あんな風に大きな声を上げられたのはあれが初めてで、だからこそ、ずっと心に引っ掛かっていたのだろう。
「もしかして、元カノとの写真とか入ってるのかなあ……」
 基さんが昔、結婚まで考えていた彼女がいたと言うのは聞いた事がある。今ではその女の人は別の人と結婚しているし、たまに連絡は取るものの会う事ももうないと基さんは言っていた。だけど、もし彼女にまだ未練があって、その彼女の写真を大事に保管してたまに見直しているのだとしたら?
 ただの仮定の話だと言うのに、考えただけで胸が締め付けられる。この中身を見てしまえば、その考えが私のただの被害妄想か否かわかるんじゃないか?
 基さんが戻ってくるのは明日の朝の予定だ。今なら見てもきっとバレないだろう。でも本当に元カノの写真だったら……?
 何度も同じ考えを巡らせ、意を決して箱を開けてみる事にした。恐る恐る箱を手に取る。ずっしりと重い、という訳ではないがそれでも片手で持つにはやや重く感じる重量であった。写真が入っているとすればまあまあな量だろう。
 そうっと蓋の部分に手を掛けて箱を開けていく。みっちりと箱の中身が詰まっているからか蓋と箱がぎゅっとくっついており、なかなか蓋部分がズレていかない。少しずつ少しずつ四方をズラしていき、やっと蓋が取れそうになる。本当に見る? と自分に問うた後、大きく深呼吸をして、私はその蓋をどかした。
 結論から言うと、中身は元カノとの写真ではなかった。
「これ……私からの、贈り物……?」
 箱いっぱいに詰められたそれは、これまで私が基さんにプレゼントしたものたちだった。クリスマスに贈った手袋、誕生日に贈ったネクタイ、記念日に贈った腕時計……どれも、数度使ったきり見かけることはほとんどなかったから、てっきり気に入らなかったのだとばかり思っていた。
 それだけではない。贈り物と呼ぶのも憚られるような、些細なものも全てその箱の中にひしめいていた。友人と日帰り旅行に行った際お土産にと買った小さな置き物。初めてデートした時に記念にとお揃いで買ったキーホルダー。一緒に暮らす前、仕事が多忙であまり眠れていなさそうな彼に贈った安眠グッズ。最近使ってないなと思ったら、ここにあったのだなと思いながらそれらを取り出していくと、箱の奥底には更にたくさんの手紙とメモがしまってあった。記念日や喧嘩の後に素直にごめんと言えなかった時の手紙たち。そして、
「嘘、こんな付箋まで?」
 それは、私が基さんに書いた手紙とも呼べないメッセージの数々。普段は社食もある為あまり弁当は作らないが、たまに弁当を作った時には必ず今日のメニューと励ましの一言メモを付箋でつけている。あるいは、社内で書類を渡す際の「チェックお願いします」という些細なメモまで、数えきれないほどの量のものがそこにはあった。——流石に、個人名や電話番号などの情報が入ったものまではなかったけれど。
 こんなの書いたっけ? と自分でも考えてしまう内容のものまで全て、丁寧にきちんと整理され仕舞われていたことに、じんわりと形容し難い感情が生まれる。人によっては、気持ち悪いだとか怖いだとかいうマイナスな感情が生まれるのかもしれない。だけど私は、嬉しかった。嬉しい、という言葉だけでは表現が足りない。この感情を、なんと表現すればいいのだろう?
 そんな事を一生懸命考えていたものだから、私は物音がするのにちっとも気付かなかったのだ。
「……何をしている」
 聞き慣れたはずの愛おしい人の声、だけど初めて聞くほの暗い声に、私は思わず小さく叫んだ。恐る恐る振り返れば、明日の朝帰ってくるはずの、愛おしい恋人の姿がそこにあった。
 
「は、基さん……明日帰ってくるんじゃ」
「今夜予定していた接待が先方の都合で中止になってな。急遽繰り上げで帰ってきたんだ」
「れ、連絡してくれれば……」
「お前は予定がないと言っていたし、驚かそうと思ってそのまま帰ってきたんだ」
「そ、そうなんだ……」
「で? 何を、やってるんだ?」
 怒っている。瞬時にその怒気を察知し、思わず私はその身を正した。
「ご、ごめんなさい! 衣替えしてたらこの箱を見つけて、つい……」
「見るな、と言ったよな?」
「……はい。ごめんなさい……」
 仕事中に大きなミスをした時でさえ、こんな風に彼に怒られた事はない。やってしまった。やはり、昔話の教訓の通り、見てはいけないと言われたものは見るべきではないのだ。次にどんな言葉が飛んでくるのか、震えながら身構えていると聞こえてきたのは全く予想もしない言葉だった。
「……幻滅したか?」
「……え?」
「引いただろう、こんなものまで取っておいて。気持ち悪いと、別れたくなったか?」
 顔を上げれば、基さんは酷い顔をしていた。泣くのを必死で堪えるような、こちらの胸が苦しくなるような顔だった。
「愛想が尽きたなら、そう言ってくれ。荷物をまとめて出ていく」
「ちょ、ちょっと待って! そんな事ない! 全然ないから!」
「こんな男重いだろう、いいんだ正直に言ってくれ」
「そりゃびっくりしたけど……でも私は、それよりも」
 必死に彼を引き止めようとして言葉を紡ぎながら、先ほどの感情の名称にようやく気付く。
「嬉しいなって……愛おしいなって、思ったよ」
 そう言って彼に手を伸ばし、強張った様子の彼の体を抱き寄せた。本当か? と小さく声を漏らしながら震える手で私を抱き締める彼に、この人を大切にしたいなと、改めて強く思った。

初出 2022.11.26
原作軸ではたくさんのものを諦めて捨ててきた月島さんだからこそ、些細なものでも捨てずに大事に取っておいて欲しいという気持ちで書きました。