鯉登編

 最近、彼の様子がおかしい。
 いつだって、些細な事でも彼は私に連絡をくれていた。「小さくて可愛い猫がいた」「この間家族で行ったカフェが美味しかったから今度は一緒に行こう」「今日の星空はとても綺麗だ」そんな取り止めもない内容のメッセージを時には写真付きでいつも送ってくれ、会えない日も毎晩のように電話をしている。
 そんな彼が、一・二週間前からどこかよそよそしくなった。まず連絡してくれる頻度が減った。電話をしても出ない事も多く、折り返しが来るのは遅い時間だった。デートに誘っても「その日は用事がある」と歯切れの悪い返事をされた。
 もしかして別れたいのだろうかと疑いもしたが、電話さえ繋がればいつもと同じように他愛もない話をし、会いたいだとか好きだとか甘い愛の言葉を囁いてはくれる。嘘のつけない彼の事だ、そのやり取りが嘘だとは到底思えなかった。だからこそ、彼の不可解な言動が妙に引っかかってしょうがなかった。
 
「なにか、私に隠してると思うの」
「鯉登が? 君に?」
「うん。杉元君、何か聞いてない?」
 痺れを切らした私は、高校からの同級生で音君と同じ大学に通う杉元君に連絡を取ることにした。私は別の専門学校に進学してしまったが、三人では時たま一緒に遊ぶ仲だ。
「えー? 月島さんのが詳しいんじゃない?」
「月島先輩にも聞いたけど、さあって言われたの。月島先輩も就職してから最近音君に会ってないって。だから、普段大学が一緒の杉元君なら何か知ってるかなって」
「うーん……俺も最近鯉登とそんなに話してないしなあ。バイト忙しそうだし」
「……バイト?」
「うん。……あれ? もしかして、バイト始めた事をまず知らない?」
「……知らない。音君が、バイトしてるの? どこで?」
「どこ、までは知らないけど。なんか知ってる人がいる喫茶店、らしいよ?」
 まずい事言っちゃったかな、という声の杉元君にお礼を言って、電話を切る。バイト。お金持ちの音君が、バイト? 前にそんな話をした時に、幸い家が裕福だからバイトをする時間よりも私に会う時間や勉強をする時間を大事にしたいと言っていたのに。
「……なにか、バイトしないといけない理由があるの? それも、私に内緒で?」
 誰に聞かせるでもないその問いが、一人きりの部屋の中で小さく響いた。
 
 数日間悩んだが、自分の中で腑に落ちる結論は出なかった。何度か直接音君に聞こうかとも考えたが、歯切れ悪く曖昧に答えられるような気もした。そもそも何でも話してくれる彼がわざわざその事を隠していたのだ、聞いても教えてくれないだろう。
 だからと言って、黙っていつか話してくれるのを待てるような性分でもなかった。杉元君の協力を得てある程度音君のバイト先の目星をつけた私は、候補の喫茶店をいくつか回っていく事にした。今日も会えないという連絡が来ていた為、きっとバイト先にいるのだろうと踏んでいた。
 まず一軒目に入った喫茶店は老夫婦がやっている純喫茶で、音君らしき人は見当たらなかった。珈琲を一杯だけ頼み、それを美味しく頂いてからそそくさと店を後にした。二軒目に入った店は喫茶店というよりカフェと言った方がぴったりの店で、客層も比較的若かった。だけど、やっぱり音君らしき人は見当たらなかった。ふわふわのパンケーキと可愛らしいラテアートの楽しめるカフェラテが売りのような店だったが、やはりメニューの中でも比較的安価な珈琲を注文した。今夜は眠れなくなるかもしれない。
 三軒目まで足を運ぼうとしたところで、ふと私は何をやっているのだろうと虚しくなった。本人にこんな事すら聞けないなんて、情けない恋人だという思いに駆られた。もう諦めて帰ろうか、そう思いながらも途中まで進めた足はそのまま候補の三軒目に向かっていた。後に引けなくなっていた自分がそこにはいた。
 確かここだ、と看板を確認し中に入ろうとしたところで、入り口の隣にあった窓から見慣れた姿を確認した。音君だ。やっと音君のバイト先を突き止めた! そう思うと同時に、目に入った光景に思わず身を隠した。カップや珈琲豆が並ぶそのカウンターの前には、音君と見知らぬ女の子がいた。ハーフなのだろうか、色素の薄い可愛らしい女の子がニコニコと笑顔で音君の隣に立ち、顔を寄せ合っていた。同じバイト先の子なのだろう。だけども、距離が近過ぎないだろうか?
 ここまで来て、私はやっと一つの考えに思い至った。音君に、別の好きな子がいて、その子と一緒にいたくてバイトを始めたとしたら? だから、私といる時間よりバイトを優先させた。だから、バイトを始めた事も黙っていた。……もし、そうだったら?
 考え出すと止まらなくなって、私はその場でしゃがみ込んで涙を溢した。探らなければよかった。そうすれば、まだ音君と恋人でいられたかもしれない。もしかしたら彼女と上手くいくまでのキープなのかもしれないけれど、それでも恋人のままでいられたのに。
 店の前だというのに座り込んで泣きじゃくっていると、すぐそばに誰かが近付いてきた。この店のお客さんだろうか。急に恥ずかしくなって立ち去ろうとすると、その男性に声を掛けられた。
「泣いたりして大丈夫かい? ……おや、君は」
「あ、大丈夫です。すみませんお店の入り口で。邪魔でしたよね」
「いやいや、大丈夫だよ。ちょっと待っててごらん」
 そう言ってその男性は店の扉を開け、大きな声で音君の名前を呼んだ。君にお客さんが来ているよ、と。
「えっ、あの!」
「キエェ!? 鶴見店長! ……っ!? なんでここに!?」
 音君は髭を携えたその男性を見て小さく叫んだ後、その後ろにいる私を見てもっと目を丸くしていた。そして瞬時に罰の悪そうな顔をして、「あ……いやその……これは……」と目を逸らして狼狽だした。
「バイト、してたんだね。知らなかった」
「その……言わんで悪かった」
「ううん。勝手に来てごめん。私に教えたくなかったんだよね。でも、こんな形で知るよりも、ちゃんと話して欲しかった」
「その……隠して驚かせたかったんだ」
「うん。もう十分驚いたよ。ごめんね、気付いてあげれなくて。今までありがとう、お幸せにね」
「……ん!? おい待て、ないをゆちょっど」
「さよなら」
 店に入る事もなく、私は振り返りその場を立ち去った。後ろで音君が何か言っている声が聞こえる。それでも振り向かずに走っていると、グイッと腕を掴まれた。視界の端に褐色の音君の指が映る。私の大好きだった、音君のすらりとした指先だ。
「わいはないか勘違いしちょらんか」
「音君、さっきの人が好きなんでしょ。だから黙ってバイト始めたんでしょ⁉︎」
「ちごっ、あん子は店長ん娘や。それ以上でん以下でんなか」
「だって親しげだった!」
「そんた昔から知っちょっ人じゃっでだ」
「じゃあなんで隠してたの⁉︎」
「そいは、その……」
 大粒の涙を流す私に、音君は一瞬息を呑んで、それから小さく呟いた。
「親ん金じゃなく、自分の稼いだ金でわいに贈り物をしよごたった。そいを、黙っちょいてたまがらせ驚かせたかったんじゃ」
「……へっ」
「もうすぐ付き合うて一年じゃろ? じゃっで、ないかそごたったんだ何かしたかったんだ
 そう言って、音君は私の涙を指先で拭った。私の大好きな、すらりとした指先で。
 
 それからの私達がどうなったかというと、数日後彼と私の指にお揃いの指輪が輝いていた、とだけ伝えておこう。

初出 2022.11.26
鯉登くんがいるカフェなんてあったら絶対通っちゃう女子多いだろうな。私も多分通っちゃう。