尾形ルート
熱気に溢れたイベント会場の中、女の人に連れられた訳でもなくキョロキョロと見渡すその姿はなんだか悪目立ちしていて目を引いた。いつも通りきっちりと整えた髪に顎髭がよりそう思わせるのかもしれない。私はもう見慣れたけれど、顎にある縫合跡も改めて見るととても怖そうだ。
こんな場違いなところになんで彼がいるのだろう。そう思った私は、思わず尾形の元へ足を運んで声を掛けていた。
「尾形じゃん。何してんの」
「……よぉ」
尾形は私の姿を見つけると少しほっとしたような顔をした。彼自身、女性だらけ——男性はいるけれどそのほとんどが女性と一緒だ——というこの場所に一人でいる事に居心地の悪さを感じていたのだろう。だからこそ余計に、何故彼がここにと私は疑問に思った。
「なんかここに用事あったの?」
「まあな。それよりお前に連絡したんだが、見てないのか」
「え? あー、全然スマホ開いてなかった。ごめん」
人混みの中にいるから極力無駄な動きはしないようにと心掛けた結果、スマホを開いてはいなかった。慌ててスマホを確認すると、確かに尾形からメッセージが届いていた。と言っても、内容はそんなに大したものではない。
「ん、何。明日から出張なんだ?」
「あぁ」
「で、取引先への土産選びに来てたってこと?」
「そうだ」
「それでなんで私にメッセージ送ってきたのよ」
「この土日でお前が百貨店に行くって、女性社員同士で打ち合わせてたのを思い出したから、いるかと思って」
「あー、なるほど。でも、私この取引先と特別付き合いないし、お土産選びって言われてもわかんないよ」
「そうか」
端的に言えば、明日から向かう出張先への手土産に悩むから何がいいと思うかを問うようなメッセージだった。今の話とまとめると、もし私とタイミングが合えばあわよくば私に手土産選びをさせようとしたといったところだろう。この男は、私を便利に使いたがるというか、そういうところがある。自分の仕事もちょっとした事を手伝わせようとしたり、その癖その出来について小言を言ってきたり。同期のよしみだから受け流しているけれど、時々面倒くさいなと思う。
「で? なんか目星はついてるの」
「あそこは女性社員も多いからな。この時期、自分のご褒美用とか言って女性向けのチョコレートも多いんだろう。その辺でなんかお前がよさそうだと思うものはないのか」
「なるほどね。そうだなぁ、そういう事ならあれなんかいいんじゃない?」
そう思いながらも、ついつい彼の助けになるようにと微力ながら手伝うものだから、余計に尾形は私を便利に使うのだろう。まあでも、これくらいならいいかと思って、一緒にチョコレート選びに励んだ。私はバレンタインのイベント会場が好きだから、こんな手伝いなら大歓迎だった。
「あちらの人数にもよるけど、結構多いならこっちかな。少人数分でいいならこれもありだと思う。男性向けも意識するなら、あっちの売り場にあったやつがいいかなぁ」
「お前は本当、こういうのは詳しいよな」
「あ、なんかその言い方何か含んでるように聞こえるんですけど」
「いやあ、食べ物のことに関してはお詳しいなぁと思いまして」
「はいはい、どうせ食いしん坊ですよ。ったく、休日に一緒に選んであげてるのに嫌味ですかぁ? もう帰るよ」
「ははぁ悪かった」
ちっとも悪びれもせずに尾形はそう言う。まったくむかつく男である。
いくつかの店のチョコを見比べながら歩いていると、不意に尾形が「お前なら、どういうチョコを貰ったら嬉しいんだ」と言った。
「え? 私? うーん……あ、そういえばさっき自分用に買おうとしたチョコ、まだ買ってないんだった」
「……手に持ってるそれは、自分用じゃないのか」
「ん、これ? これは会社の人たち用と、月島係長用」
「……はぁ? なんで、係長用があるんだ」
「え、だってお世話になってるし。推し上司だし」
「本命ってことか」
「えぇ? 違うよぉ。そういうんじゃないけど」
「……そう言えば、さっき月島さん見たぞ」
「え、嘘どこで!?」
「少し前にこのイベント会場の、向こうの売り場で」
「えー! そうなんだ!? うわー、会いたかったー!」
「……女連れだったぞ」
「えぇ、そうなんだ! 彼女かな? うわー、月島係長がどんな人と付き合うのかもちょっと気になる!」
「……」
思いがけない場所での月島係長目撃情報に思わずテンションが上がってしまう。まだ周辺にいないだろうかとついキョロキョロした私を、尾形は訝しげに見ていた。
「なに?」
「いや……ショックを受けたりしないのかと思って」
「ショック? なんで?」
「月島係長に女がいるのか、とか……」
「……あー。そうだなぁ、別に何にも。だってあんな素敵な人だもん、彼女いない方がおかしくない?」
「……」
「んー、なんていうか私の中で月島係長はそういうんじゃないのよ。恋愛感情じゃなくって、推しなの、推し!」
「おし……?」
「アイドルみたいな感じなの。付き合いたいとかそういうんじゃなくて、眺めてキュンとしたい、みたいな?」
「はぁ……?」
尾形は眉を顰めたまま、私の言っていることがちっとも理解できていないような顔をしていた。まあ、この感覚は男性にはあまりないものなのかもしれない。
「月島係長相手だったら、上司なのもあるけど、多分緊張して付き合ったり出来ないと思うもん、私」
「そういうもんか」
「うん。付き合うなら、どっちかって言うとなんでも言い合えて気楽にそばにいられる人がいい」
「……ふぅん」
尾形は小さくそう言うと、自身の髪をそっと撫で付けた。いつも綺麗に整えられた髪は、そんなに撫で付けなくても乱れていないのにななんてどうでもいい事を私は眺めながら思った。
結局あれこれと口出しをしながら、彼の出張先への手土産を購入したのはイベント会場を三周した頃だった。お昼ご飯は食べてから来ていたけれど、チョコレートの匂いが漂うこの場所であちこち歩いたせいでほんの少し小腹が減ってきた。
手土産選びを手伝ったんだからお茶でも奢りなよと冗談で尾形に言えば、わかったと返ってきたから珍しいこともあるもんだと目を丸くした。
場所を移動する前にお手洗いに行きたくて、尾形にチョコレートの紙袋を一旦預けてその場を去った。綺麗に整備された百貨店のお手洗いはイベント会場からちょうど反対方向に位置していて、少し時間がかかった。その場で待ってもらわず近くまで来てもらっておけばよかったと少し後悔しながら、用を足して尾形を待たせていた場所まで戻った。
「ごめんごめん、お待たせ」
「あぁ、行くか」
「あ、荷物」
「すぐそこまでだ。持っておく」
「そう? ありがとう」
そういうスマートな事もするんだなと変に感心してしまう。どこでもいいんだろう? という彼の問いかけに頷いてついて行くと、百貨店の中にある喫茶店の一つに入っていった。ここは確か、ケーキセットが美味しいけれど、ちょっとお高い店だ。
「好きなもん頼んでいいぞ」
「えぇ〜? そんなこと言われたらケーキセット頼んじゃうけど」
「あぁ、別にいいぞ」
「太っ腹! 本当にいいの? ありがとう!」
テーブルに肩肘をついて少し呆れたように笑った尾形は、店員を呼んでホットコーヒーとケーキセットを頼んだ。セットの飲み物は紅茶でいいんだろう、と彼が言うのでなんでわかったんだろうと思いながら頷く。
「よくわかったね」
「お前いつも休憩中も紅茶ばかりだろう」
「あらよくご存知で」
「まあな」
右手を添えたまま、彼の口角が少しだけ弧を描く。たったこれだけの事で得意げに笑う尾形がなんだかおかしかった。
明日からの出張話について話していると、それぞれ注文したものが届いた。思ったよりも大きな苺のショートケーキに心が弾む。
一方コーヒーだけを頼んだ尾形に、「一口食べる?」とまだ口をつけていないフォークで端っこの部分——私が一番美味しいと思っている、二等辺三角形の尖っている角の部分!——を掬って彼の方に差し出すと、彼は瞳孔を細くして「別に、いい」と言った。
こんなに美味しそうなのに、と思いながら私が食べ始めると、三口ほど食べたところで「やっぱりくれ」と彼は口を開いた。さては私が食べているのを見て欲しくなったんだな。
「でもこれ、私口つけちゃった」
「別にいい。くれ」
「まあいいけど、はいどうぞ」
パックリと開かれた口に気持ち大きめに乗せたケーキを運ぶと、彼は咀嚼しながら眉を顰めた。
「甘い」
「ケーキなんだから当たり前でしょ」
「甘すぎるものは苦手だ」
「じゃあなんで食べたの」
変なやつだな、と思いながら私は残りのケーキを食べ進めた。やけに尾形からの視線を感じて、「まだケーキいるの?」と問いかけたけれど、「もういらない」と断られた。じゃあなんでこんなに見ているんだろう。
ペロリとケーキを平らげて紅茶も全て飲み終えたところで、尾形もコーヒーを飲み干して店を出た。彼に預けたままだった荷物を返してもらうと、小さな紙袋が一つ多いことに気付く。
「あれ、尾形。これ私のじゃないよ」
「いや、お前のだ」
「え? 私これ買ったっけ?」
よく見ればそれは後で自分用に買おうと思っていた店の袋だった。一人で見た時も尾形と見て回っていた時も、気になったけれど後回しにしていたもの。結局そのまま買いそびれてイベント会場を出てきてしまったな、と思ったはずなのだけど……
「あれ、私いつの間にか買ってた? これ」
「……アホか」
「なっ、なんでよ」
「お前が買ったんじゃない。俺が買った」
「じゃあやっぱり私のじゃないじゃん」
「……ったく、本当に鈍いなお前は」
「は?」
「俺がお前に買ったんだ」
「……え」
尾形はまた自身の髪を撫で付けながらそう言った。その言葉の意味がわからず私は「なんで?」と問うと、彼はちっと舌打ちをして私に顔を近づけた。ほんのりとコーヒーの香りがしたかと思うと、唇に何かが触れる。それが尾形の唇だと気付くと、私は思わず周囲に人がいなかったかを確認した。
「な、なんっ、なっ」
「ここまでしたら伝わるか」
「何、いきなり!」
「お前が鈍すぎるからだ」
「はぁっ!?」
同期の尾形は、何かと言えば私にちょっかいをかけてくる男だった。何かにつけて仕事を手伝わせ、小言を言い、私が月島係長と嬉しそうに話しているとそれを遮るようにからかって来て……そこまで来て、私はそれらがなぜなのかを察した。まさかとは思うけれど、でもそうならば今の行動も納得がいく。
「……もしかして、尾形って私のこと、好きなの?」
「やっとわかったか」
「いや、わかりづらすぎるよ!」
だとすれば、このチョコは逆チョコというやつなのだろうか。いやそれにしたって、いきなりキスしてくるやつがあるか。しかも外だというのに。
「さっき間接キスしたんだから一緒だろう」
「いやいやいや全然違うからね!?」
「それにお前、さっき言ってたじゃねえか」
「何を?」
「付き合うなら、月島さんみたいな人よりも、色々言い合える気楽なやつがいいって」
「……確かに、言ったけど」
「俺が、お前にとってそういう相手だと思わねぇか?」
じっと真っ黒な目でそう見抜かれて、私は不思議と納得してしまった。確かに、そうかもしれない。今まで意識したことはなかったけれど、尾形相手にはなんでも言い合えるし気取らずにそばにいられる。
「……そう言われたら」
「だろう? お前のことは、俺がよくわかってんだよ」
「何それ」
「だから、俺と付き合え」
ほんの少し不安そうな表情をしつつも、でもなぜか大丈夫だと自信を持ったような顔で私にそう告げてくる尾形になんだかむかついて、私は「仕方ない、考えといてあげよう」と言い放った。尾形は少しムッとしたような顔をしていたけれど、そっと手を繋げばそれで満足そうな顔をした。なんだ、可愛いところあるんじゃん。
聖なるバレンタイン。その日を前にして、私の同期でありなんだかよくわからないむかつく男・尾形は、私にとって意外とわかりやすくって愛おしい存在になった。バレンタイン当日は出張で会社では会えないけれど、夜には帰ってくるという彼のために、また明日チョコレートを選びに来よう。甘いものが少し苦手な彼が、美味しく食べられるビターチョコレートを。