背伸びしたって敵わない

 何もこのタイミングじゃなくてもいいじゃない。焦げ臭さで包まれた部屋で、表面が黒焦げになっているブラウニーを慌てて取り出している最中、久しぶりに我が家に訪れた幼馴染の姿に私は心底思った。
「うわぁすごい匂い。何してんの?」
「お菓子作り。時重こそ、何でここにいるの」
「母親に頼まれたんだよ。これお前ん家にって。ちょうどおばさんと玄関ですれ違って上がっていいって言われた」
 そういえば先ほど買い物に出かけた母が玄関先で誰かと話していた気がする。電話かと思ったけど時重だったのか。
「で、何作ってんの」
「ブラウニー……になる予定だったやつ」
「はは、黒焦げじゃん。苦そ」
「うるさいなあ」
 言われなくてもわかってるよ。オーブンの天板をそっと置きながら、じわりと込み上げてくる涙を堪えた。
「お前がお菓子作りなんて珍しいね」
「……クラスの子達とそれぞれ手作りして、お菓子交換しようって言ってて」
「ふーん。女子ってそういうの本当好きだよね」
 時重は勝手知ったると言った感じでお使いの品をダイニングテーブルへと置き、それからキッチンへと入ってきた。ブラウニーをチラリと見た後、参考にしていたレシピ本を手に取る。
「オーブンの設定温度高かったんじゃない?」
「レシピ通りにしたよ」
「じゃあ予熱足りなかったのかな」
「そうかも」
「材料まだあるの」
「一応」
「うーん、お前にはこっちのとかこっちのがいいんじゃない?」
 パラパラとページを捲って見せられたのは、溶かして固めるだけの初心者向けレシピだった。
「そうだね。そうしようかな」
「飾りになるやつうちに余ってるだろうから持ってきてあげるけど」
「いやいいよ。うちにも多分あるから」
 上にも下にも姉妹がいて、なおかつ世話焼きで器用な彼はこの時期よくお菓子作りの手伝いをしているらしい。私なんかよりずっと上手に作れるんだろなと思うと、また色々なものが込み上げてくる。
「僕が手伝ってやろうか?」
「いい、大丈夫だから。ほら、用事が済んだなら帰った帰った」
 これ以上色々言われるのが嫌でグイグイと時重の背中を押して玄関へと向かわせる。意地悪そうな顔をした彼は、「ちゃんと友達がお腹壊さないようなもの作りなよ」と笑いながら帰って行った。んべ、と舌を出して顔を顰めてから扉を閉める。
 
 はぁ、とため息をついてキッチンへと戻る。部屋中に篭った焦げ臭さを逃すために窓を開けると冷たい風が入り込んだ。ひんやりした空気の中でもまだ熱を保つブラウニーをそっと切り分ける。表面は真っ黒なのに、中身は生焼けだ。完全なる失敗。やっぱり母に手伝って貰えばよかったと思いながら、再度レシピ本を手に取って睨めっこをする。
『僕が手伝ってやろうか?』
 先ほどの時重を思い出して、ブンブンと首を振った。同じマンションに住む一つ年上で幼馴染の彼は、その面倒見の良さも相まっていつまでも私のお兄ちゃん気取りだ。妹が一人増えたくらいの感覚なのだろう。だけど、それじゃダメなのだ。目指せ、脱妹的存在。そう思って少し大人っぽいお菓子を作りたかったのに、手伝ってもらったら本末転倒である。
 もう一度材料を確認して取り出していると、ピンポンと呼び鈴が鳴った。今度は誰だと覗き穴から確認すると、ついさっき出ていったばかりの時重の姿がそこにはあった。
「何? まだなんかあった?」
「ほら、これ。姉ちゃんが昔使ってたやつ。こっちのが簡単だけど女子ウケしそうなの載ってるから貸してやる」
 差し出されたのはレシピ本だった。本というより、冊子という方が適しているだろうか。雑誌の付録のようなそれを受け取ってパラパラと捲る。確かに初心者向けだけど、見栄えの可愛いものがいくつも載っていた。
「……わざわざ持ってきてくれたの?」
「ちょうどこの間、我が家でも何作るか談義を姉妹でやってたからね。これは使わないって言ってたから、いらなかったら捨ててもいいし」
「ううん。使う。ありがとう」
 脱妹的存在を心に誓ったのに、こうやって面倒見てもらえるとやっぱり嬉しく思ってしまう。
「あと、さっきのブラウニーだけど。表面だけ取り除いてレンジでチンしたら中まで火が通って食べられると思うよ」
「いけるかなぁ?」
「もう一回上がるよ〜」
 止める間もなくキッチンへと進んでいく時重を慌てて追いかける。上着を脱いで手を洗いながら「ナイフか包丁貸して」という彼に渡すと、器用に焦げついた部分だけを取り除いた。そしてお皿に移した後ふんわりとラップをかけて電子レンジへと入れた。何度も様子を見ながら加熱をしていくと、美味しそうな匂いが部屋の中に満ちていく。
「これくらいなら大丈夫そう」
「……本当だ」
「ま、でも見栄え的に友達用はあれだろうから、さっきのやつから作った方がいいかもね」
「うん。そうする」
 結局助けられちゃったな、とそう肩を落としていると時重は「こっちのお皿使っていい?」と食器棚を指差した。首を傾げながら適当な皿を出して渡すと、ブラウニーを切り分けられる。
「じゃ、これは僕が食べても問題ないよね?」
「えっ」
 私が驚いている間に、時重の口が開いてブラウニーが消えていった。あっつ、と言いながらも、彼の頬にある黒子が止まることなく揺れている。
「来年はもっと上手く作れよ。あー、でも僕としてはもう少し甘さ控えめのやつのがいいな」
「……うん、わかった。頑張る」
 最初から、これは時重用だってバレてたんだろうか。うっすらと赤くなっていく顔を誤魔化すように私もブラウニーを一つ口へと運ぶ。濃厚なチョコレート味のお菓子が、この部屋の空気まで甘くしていった。