素直じゃないのはお互い様
例年の如く、男子も女子も浮き足立った一日だったな。カツンカツンとアパートの古びた階段を上りながら教室でのやり取りに思いを馳せる。家の鍵を取り出そうと鞄の中を探ると、友人たちと交換したチョコが指先にコツンと当たった。おかげさまで、私もしばらくおやつには不自由しなさそうだ。
鞄の中でようやく目的のものを見つけ取り出したのと、家の扉の前にいる人物を発見したのはほとんど同時だった。鍵につけた黒猫のキーホルダーと同じくらいむすっとした顔を浮かべたその男は、田舎のヤンキーさながら足を開いて腰を下ろした状態でこちらを睨みつけていた。
「何してんの。そんなところで」
「遅い。何してたんだ」
「別に、普通に友達と話しながら帰ってきたの。百之助と違って友達が多いからね」
あ? と言って立ち上がる百之助を見て、また背が伸びたなとぼんやり思う。去年まで着ていた学ランとは違うブレザー姿は、まだ少し見慣れない。頭は相変わらず坊主姿だと言うのに、なんだか違う人になったみたいだ。
「で、何の用事?」
「貰いに来てやった」
「は?」
「チョコ、用意してるんだろ」
扉の前に立ちはだかった百之助は、私に手を差し出した。昔は紅葉みたいな手をしていたのに、今では私の顔を握りつぶせそうなほどの大きさがある。ひらひらと揺らすその手のひらをパチンと叩いて「家に入るんだからどいて」と嗜めた。
なおも不機嫌そうな百之助は、びくりとも動かない。ただただ無言で私を見下ろしている。
「何、また誰からも貰えなかったから私に貰いにきたの?」
少し煽るように笑って見せれば、百之助はぴくりと眉を動かした後鞄の中を開いて見せた。可愛らしいラッピングのチョコが一つ二つ三つ……それを確認して顔を上げれば、どんなもんだいと言いたげに彼は口角を上げていた。
「本命だか義理だか知らないけど、他の子にも貰ってるなら別にいらないでしょ」
ほらどいてと彼の二の腕をぐいっと押し除けようとするけれど、その手を掴まれてしまった。力を込めて握られた手首に鈍い痛みが走る。
「いたっ、もう、何?」
「この間選んでたチョコ、誰にやったんだ」
「え? は、えっ? 何、見てたの?」
かぁっと顔に熱が集まっていく。そんな顔を見られたくなくて、私は勢いよく顔を伏せた。
幼なじみの百之助は、中学の頃までちっともモテるタイプじゃなかった。他の女子は面倒臭いと言って、いつも私のそばにいた。それが例え、たまたま近所に住んでいた幼なじみだったからというだけだとしても。
でも今は違う。
別の高校に進学して、一緒にいる時間も短くなって、見慣れない制服を着こなした知らない人になっていく百之助に、私は寂しさを覚えていった。家の距離は近いままなのに、百之助がどんどん遠くなっていくように感じた。
それでも、毎年「誰にも貰えないのは可哀想だから」と渡していた友チョコのふりした本命チョコを用意していた。きっと今年も、百之助はチョコの収穫はなしだと思っていたから。
そうして先週末、近くのショッピングモールで私は確かにチョコレートを選んでいた。今年はどんなのにしてやろうかと悩み抜いて購入して、そして私は見てしまったのだ。
彼が、彼と同じ学校の制服を着た女の子と一緒に歩いている姿を。
急に誰かに刺されたかのように心臓が痛くなって、私は慌てて踵を返した。うっかり百之助に気付かれてしまう前にと急いで帰ったはずだったのに、あの時先に百之助の方がこちらに気付いていたのだろうか。
「なんだ、気付いてたのなら声掛けてくれたらよかったのに。って、他の子と一緒だったなら無理か」
「は?」
「百之助にも女友達いるんだね。それとももしかしてあの子彼女?」
言いながら胸が痛む。涙が滲みそうになるのを、唇をギュッと噛み締めながら堪えた。
「ほら、そういう子がいるならもう私からの義理チョコなんていらないでしょ。どいて」
「それ、誰のこと言ってんだ?」
「あの子だよ、一緒に買い物してたあの子」
「だから、それ」
言い合っていると、カツンカツンと階段を上がってくる靴音が耳に入った。そろそろお隣さんの帰ってくる時間であることに気づいた私は「とりあえず家入るから」と手を振り解こうとした。それでも尚も離してくれない彼に「百之助も入っていいから」と言うとやっと解放された。
彼の指の痕がうっすらと残った手首をさすりながら鍵を開け、慌てて家へと入る。
「久しぶりにお前の家に来た気がする」
「……そうだね」
昔は互いの家によく行き来していたのにね。そう言おうとした言葉を飲み込んだ。あの頃と変わってしまった関係性を、口にして認めたくなかった。
「で、さっきの話なんだが」
「まだ続けるの?」
「お前、俺がどの女といるのを見たって?」
「どの女、って……何、百之助もしかして高校で結構遊んでる感じなの?」
その時一緒にいたのが誰かもわからないほど色んな人を普段から連れて歩いているんだろうか。たった一年ですごい変わりようだと半ば呆れながら言うと、百之助は苛立ったように溜め息をついた。
「違う。多分それ、クラスメイトの誰かだろ。あの日は学校で模試があって、そのあとで何人かで遊ぼうとあそこに行ったんだ」
「え……二人でじゃなくて?」
「ああ。お前が誰といるところを見たのかは知らんが、他にも数人周りにいたと思うぞ」
百之助と、その隣にいる子しか目に入っていなかった。そうか、そうだったんだ。
ほっとする私を見た百之助は、靴を脱いでズカズカと家の中に上がり込んだ。わかりきったように私の部屋へと入ろうとする彼に「ちょっと」と止める。ドアノブに手を掛けたまま百之助は振り返った。
「まだおばさん帰ってこないんだろ?」
「そうだけど……」
「じゃあ少しくらいいいだろ。腹減ったから早くチョコよこせ」
「その鞄の中のやつ食べればいいじゃん」
「こんなもん食わん。何ならお前にやる」
「はぁ?」
さっきは自慢してきたくせに。そう思っていると百之助は、表情も動かさずに続けた。
「俺は『誰にも貰えないから』お前のチョコが欲しいんじゃない。『他の奴から』じゃなくて、お前のチョコが欲しい」
「……はぁ、何それ」
そんなのまるで、百之助が私のこと好きみたいじゃん。
軽口を叩くように言葉にしようとして、唇を噛み締めてまたそれを飲み込んだ。顔が赤くなっていくのがわかる。
「そんなに私からのチョコが欲しいならしょうがないな。わかったよ、持ってきてあげるから。部屋入って座ってなよ。でも少ししたらお母さん帰ってくるんだから、食べたらすぐに帰ってね」
「ああ」
私が一息で言い終わると、百之助はニヤリと笑って部屋の中へと入っていった。「相変わらず色気のない部屋」そう呟いた声が何故だか安心を帯びているように聞こえる。
そのまま台所へ行って、冷蔵庫からアイスコーヒーと牛乳を取り出しそれぞれコップに注ぎ込む。少し大人になった彼は、果たしてどちらを選ぶだろう。
コップと一緒にトレイに乗せた、黒猫の絵が描いてあるチョコレートボックス。先ほどまでの不機嫌そうな顔が、ご機嫌な顔になってくれたらいいんだけど。
だけどそんな事を考えながら準備をしている私の顔が、一番ご機嫌で嬉しそうなのかもしれない。