第一話 そもそものはじまり

 私達の関係に名前を付けるなら、どう呼ぶのが適切なんだろうとよく考える。それくらい、私達の関係は曖昧なものだった。
 友達と呼ぶには近過ぎて、恋人とは到底違う。二人で遊び、互いの家に行って泊まる事もあれば、手を繋ぎ時にはキスをした事もある。だけど、好きと言った事も言われた事もない。これで体の関係でもあればセフレという名前がつくのだろうが、キス以上の触れ合いをする事もなく、ただずるずると曖昧な関係に私は焦ったさを感じていた。
 そんな関係も始まって、もうすぐ三ヶ月になる。
 
 ◇
 
 事の発端は、大学のグループワークだった。同じ講義を受けている尾形君と杉元君、そして白石君と班を組む事になり、提示された課題への発表準備を進めていた。杉元君と白石君は、親しみやすく協調性こそあるものの、あまり勉強が得意ではなく加えてどちらもアルバイトが忙しいようで、殆どを尾形君と私で進める事になっていた。
 尾形君は、二人とは正反対で、何を考えているのか分かりづらいところがありとっつきにくい人というのが第一印象だった。その割に女の子からの人気は高く、女遊びが激しいだとか彼女が途絶えた事がないだとかいう噂をよく耳にした。かと思えば、意外と真面目な努力家のようで、グループワークも尾形君がいたから課題発表までやってのけたと言っても過言ではなかった。最初の印象があまりよくなかった分、ほんの数週間ではあったが彼への印象は大きく変わり、気が付けば私も彼を目で追う女の子の一人になっていた。
 課題発表を終えて数日が経った頃、打ち上げがてら飲みに行こうと杉元君から誘いがあった。大した成果も上げてない奴が偉そうに、と尾形君は舌打ちしていたが予定を合わせて四人で飲みに行く事になった。しかし当日、白石君はバイトのピンチヒッター、杉元君も親しくしている子が体調を崩し様子を見に行くとかで、グループワークの準備同様私と尾形君の二人だけになってしまった。
「結局、私達だけだねぇ」
「まあ、実際俺達しかやってなかったようなもんだしな。二人で打ち上げするか」
 二人だけどいいの? と少し思ったけれど、店も予約していたしまあいいかと尾形君に着いて行く。今にして思えばこの時にやめておけばよかったのかもしれない。
 
 チェーン店の安い居酒屋に入り、二人で乾杯をする。適当に頼んだものをつまみながら、グループワークの反省や教授への愚痴をこぼす。アルコールの為か普段よりも饒舌になる尾形君に嬉しくなり、私もいつもよりお酒を飲み進めてしまった。他愛ない話を繰り広げながら二時間ほど店に滞在し、そろそろ出るかと会計を済ます。酔いが回った頭で、この打ち上げさえも終わったらもう尾形君とはなかなか話さなくなるかもしれないと急に寂しくなった私は、あろう事か私の部屋で飲み直さないかと誘っていた。
「……いいのかよ」
「んー? うん、私の家ねぇ、ここから結構近いんだよー」
「そうじゃなくて……まあいい。ほら、しっかり歩け、家はどっちだ」
 真っ直ぐ歩いているつもりなのに少しふらつく私の腕を尾形君が掴む。ったく、と小さく呟いて尾形君はそのまま私を引き寄せ、掴まってろと私の腕を尾形君の逞しい腕に絡ませた。腕を組む様な状態で歩く私達は他の人達の目にはどう映るんだろう、そんな事を考えながら家路へ向かった。
 
 家へ着き尾形君を招き入れる。少し散らかっててごめんねと謝りながら彼が座るスペースを空け、少しばかり冷蔵庫に入れていた缶酎ハイを適当に差し出す。何か途中で買って来るべきだったなとまだ酔いが回っている頭でぼんやりと考える。ん、と尾形君はそれを受け取って開け、二度目の乾杯をした。
「お前さ、」
「ん?」
「よくこうやって男を家に入れてんのか」
「えー? 何それ。尾形君が初めてだよ」
「……ふぅん」
 興味のなさそうな顔で尾形君は缶に口を付ける。もし、この人が噂通り遊び人で、このまま私の事を抱くと言うなら、それでもいいような気がした。一度だけでも思い出が出来るのなら、という気持ちが僅かばかりあったのかもしれない。
 だけど、尾形君は噂のような遊び人ではないんじゃないかな、という思いも、この数週間の中であった。
「逆に、尾形君はさ」
「あ?」
「私の家なんか、来てよかったの」
「お前が誘ったんだろ」
「や、そうだけどさ。その、彼女、とか」
 今まで触れたくても触れられなかった彼の恋愛事情を、お酒の力を借りて踏み込んでみる。
「ああ……」
「まあ、尾形君には彼女なんていっぱいいて、あんまり関係ないのかもしれないけどぉ?」
「はっ、阿呆か。何人もと付き合うなんて面倒臭くてごめんだね」
「ふーん、女泣かせって噂だけど」
「噂だろ。まあお前が信じたいならそっちを信じればいい」
 諦めを帯びたような口調で、そう冷たく尾形君は言った。
「ふふ、じゃあ私は尾形君を信じる」
「なんだそれ」
「だって、尾形君噂と全然違ったもん。思ったより話しやすかったし、だから思わず解散するのが名残惜しくてこうしてるの」
「そうかよ」
「ねぇ、本当に彼女、いないの? 特定の子とかも」
「いたら来てねぇよ。お前こそどうなんだ。杉元とも結構仲良いだろ、そういうんじゃないのか」
「杉元君? うんまあ、仲は良いけどそういうのじゃないかな……彼氏自体もうしばらくいないし」
「ふぅん」
 つまらなさそうな声で尾形君は言う、だけど表情はどことなく機嫌がよさそうに見えた。もしかしたら彼も酔っているのかもしれない。
「ねぇ、じゃあさじゃあさ」
「なんだよ、やけに食いつくじゃねぇか」
「いいじゃない、恋バナはお酒の席では必須でしょ」
「そういうもんか?」
「そういうもん」
「……」
「……ね、尾形君は、好きな人とかはいないの?」
 話の流れで軽い感じで聞くつもりが、思わず力が入ってしまう。それを聞いたところでどうするのだ、と我ながら思うけれど、お酒の勢いというものは怖い。
 尾形君は、じっと私を見ながらきちんとセットした髪を撫で上げ、にやりと笑った。
「さあ、どうだろうな」
「そこは濁すの?」
「好きなように捉えろよ」
 意地悪そうに笑った彼は、持っていた缶酎ハイをグイッと一気にあおる。ゴクゴクと上下に動く喉仏がどこか扇状的でつい目を離せなかった。
「ははぁ、あんまり見るなよ助平」
「すけっ!? ち、違うよ!」
 あながち間違いではないのかもしれないが、慌てて否定する。そんな私をくつくつと笑いながら、飲み干したらしい缶をテーブルの上に置く。
「そろそろ帰る」
「えっもう?」
「終電がなくなる」
「あ、そんな時間か」
「それとも泊めてくれるつもりだったのか?」
 悪戯に笑う彼に、そういうつもりじゃないと顔を真っ赤にして否定した。冗談だと笑い飛ばしながら、尾形君は荷物を手に取り玄関へと向かう。
「今日はお付き合いありがとうね」
「ああ、こちらこそ」
「気を付けてね、道わかる?」
 まだまだ名残惜しくて玄関先で靴を履く尾形君に着いて行こうとすると、突然ぐいっと体がバランスを崩した。尾形君に引っ張られたのだ。あっと思うと同時に、唇に少しかさついた温もりが触れたのを感じた。それが尾形君の唇だと気付く頃には私の腰は抜け、地べたに座り込んでいた。
「道はわかる。お前、あんまり簡単に男を家に上がらせるなよ。気を付けろ」
「へっ……えぇ?」
「じゃあ、また学校でな」
 何が起きたのかさっぱりわかっていない私を置いて、涼しい顔で尾形君は部屋を出て行く。この日から、私達の曖昧で不思議な関係は始まったのだ。