第二話 この関係の名前はなに

 金曜日。大学の講義も終わり、バイトへ向かう準備をする。バイト先である家の最寄りのコンビニに着く直前、スマホが鳴る。このタイミングでの通知は、どうせ尾形くんだろうと思いながら開くと、その予想は的中した。『バイトか』短いそれだけの文章に、今日は十時上がりとだけ返事をした。いつものやり取り。このお決まりのようなやり取りも、いつまで続くんだろうか。
 
 ◇
 
 あの飲み会の翌日、幸いにも講義が被らない日で尾形くんと顔を合わせなくて済んだ私は、少し残念でもありつつホッとしていた。どんな顔をして会えばいいかわからなかったから。今日を過ぎれば週末を挟むため、このまま数日会わなければきっと少しはこの気持ちも落ち着くだろう、と自分に言い聞かせた。そもそも酒の席での事なのだ。きっとあのキスに意味などなかったのだ、とも。
 
 だけどその日、学校終わりバイトへ向かう私に一件のメッセージが入った。
『昨日、忘れ物したから取りに行く』
 一言尾形くんから入ったそのメッセージに、危うくスマホを落としそうになった。
『今日はバイトがあるからごめん。月曜でよければ持って行くけど、忘れ物って何?』
 震える指で返事を打つと、コンビニへ着く直前に『バイトは何時までだ』と返事が来る。まさかその時間に合わせて家まで来るつもりだろうかと冷や汗をかきながら、『十一時まで。ねえ忘れ物って?』と再び送る。本当はもう少し早い時間までだったが、そう言えば諦めるだろうと思ったのだ。結局返事が来ないまま、コンビニに着き制服へと着替える。
 バイト中も隙を見てはスマホを確認したが、尾形くんから返事が来る気配はなかった。忘れ物って何だったのだろう、と思いながら働いていると、同じシフトに入っていた先輩が外を指差して話しかけてきた。
「ねぇねぇ、あそこに立ってる人、格好良くない?」
「え?」
「さっきからずっとそこにいるんだけど、待ち合わせとかかなぁ?」
 きゃっきゃっと話しかける彼女の視線の先を見ると、ガードレールに体を預けスマホを眺めている男の人がいた。それは、よく知っている人で。
「えっ、尾形くん!?」
「え、なになに知ってる人? もしかして彼氏!?」
「いや、そういうのじゃないですけど……大学の友達です」
 時計を見ると九時五十分。本当であればあと十分でバイトは終わる、が、わざと一時間遅くメッセージでは伝えていたはずだし、何より私のバイト先を教えていなかったはずだ。それなのに、何故尾形くんはここにいるんだろう。
 驚いた顔をして尾形くんの方を見ていると、彼は顔を上げてこちらに気付き、店に入ってきた。
「よう」
「え、尾形くん、なんで?」
「近くまで用事があったんでついでにな。あと一時間くらいか?」
 隣で先程の彼女がキラキラした目をしていた。少し年上のこの女性は恋愛話が好きなようで、学生アルバイトと休憩が被ればしょっちゅうそういう話がないのかと聞いてくる人だった。これは今度色々聞かれるに違いないと頭を抱えていると、
「あれ? あなた今日もうすぐ上がりでしょ? 今落ち着いてるし、待ってるならもう着替えてきたら~? 店長もいないし適当に誤魔化しておくよ」
 ニコニコ笑う彼女に、余計な事を……と思っていると、尾形くんは面白くなさそうにふぅん?と私を見た。ああ、後で何か言われるに違いない。じゃあお言葉に甘えて、と逃げるように私はその場を立ち去ってバックヤードに入っていった。
 
 流石に時間より早く退勤する訳には行かないので、ゆっくりと着替え身支度を整えてから、十時を過ぎてタイムカードを通した。恐る恐るバックヤードを出て、先輩にお疲れ様ですと頭を下げると、これまたにこやかに手を振られた。絶対勘違いされている。次に彼女とシフトが被る日は心構えをしておこうと思いつつ店を出ると、先程と同じようにスマホを眺めている尾形くんが立っていた。
「お、お待たせしました」
「いやぁ? 一時間も早かったぞ?」
 スマホのメッセージ画面を開きひらひらと掲げながら尾形くんは言う。その顔は笑顔だがとても嘘くさい。これは少し怒ってるのかもしれない。
「ところで、何でバイト先知ってるの」
「お前が前に言ってただろ、家の近所のコンビニって。昨日帰り道にここがあったから、そうだろうと思ったんだ」
「なるほど」
 そういえば、前にそんな話をしたような気もする。思い返せば大抵十時にはバイト終わっているともその時に話したような気がしないでもない。記憶力のいい尾形くんの事だ、それでこの時間にここで待っていたのかもしれない。
「なんで嘘ついたんだ?」
 昨日の今日で顔を合わせたくなかったから、なんて言えるはずもなく間違えたと誤魔化した。ふぅん、とやっぱり面白くなさそうに尾形くんは言った。
 
 尾形くんは、私が着替えている間に買ったらしいお酒を片手にさも当然と私の家へと上がり込んだ。昨夜自分で男を簡単に上がらせるなと言っておいて上がり込んでくるこの人も、そう思いながらそれを受け入れる自分も馬鹿だなぁと思う。
「あ、ねえ。忘れ物、あった?」
「あ? ……あぁ、あった」
「月曜まで待てない大事なものだったの?」
「まあ、そんなところだ」
 尾形くんが何を忘れたのかは、教えてくれなかった。
 場を持たせるためにテレビを付けると、人気シリーズの映画が毎週連続放送と銘打って流れていた。このシリーズを見た事がないという尾形くんと、何となくそのまま映画を観る。何年か前に鑑賞した事のあるそれは、途中からだったにも関わらず最後まで楽しめ、感想を話している頃には、お互いお酒を二本ずつ飲み終わっていた。ほんのりと酔いが回る。もしかして昨日と同じような、いやもしかしたらもっと先もあるのかも知れないとドキドキしていると、尾形くんは「じゃあ終電だから」と立ち上がった。
「え、あ、うん」
「急に悪かったな」
「や、うん。大丈夫」
 昨夜と同じように玄関先まで見送る。靴を履き、くるりとこちらを振り返った尾形くんに思わず身構えると、彼はにやりと笑った。
「ははぁ、何もしねえよ」
「……ふーん」
「何だ、期待してたか?」
「別に」
 悪戯に笑いながら、尾形くんは私の頭をくしゃくしゃと撫でる。一人だけドキドキして馬鹿みたいだ。
「お前、来週の金曜日もバイトか」
「え、ううん。来週は休みのはず」
「じゃあ、また一緒に観るか」
「えっ?」
「映画。来週はさっきの続きがあるんだろう」
「ああ、うん、そうみたい」
「また来る」
 そう言って私の返事も待たずに尾形くんは帰って行った。一人悶々とした気持ちの私を残して。
 
 ◇
 
 あの日から、何故か尾形くんとはほとんど毎週末一緒にテレビで映画を観るようになった。今日のように私がバイトに入っていて、その後に私の家に来る事もあれば、学校帰りに一緒にご飯を食べてから私の家に来る事もある。尾形くんの家に行くことはなく、決まって私の家だった。
 バイトがある日は、映画を録画し追っかけ再生をしながら鑑賞した。もちろん終電に間に合わなくなる日があって、案の定お酒が入って調子に乗った私は尾形くんを家に泊まらせた。それからは、バイトがあろうがなかろうが、私の家に泊まって行くようになった。
 とは言え、体の関係がある訳でもなく、本当にただただ並んで眠るだけで。だけど、テーブルを挟んで向かい合う形で観ていた映画はいつの間にか、横に並んで観るようになり、映画の内容によって手を繋いで観る事もあれば、ラブストーリーを観た後に映画と同じようなキスを重ねた日もあった。
 この曖昧でおかしな関係をもどかしく思いながらも、たまに触れる手や唇の感触が嬉しくて、手放したくなくてずるずると続けてしまっている。
 そうして今夜も、十時ぴったりになると私を迎えにコンビニへやって来る尾形くんと、お酒を買って家に向かうのだった。