六日目「くるくる・楽しくなる・小さな音」

「あんまり走るとこけちゃうよ、気をつけて!」
「わかっちょっ!」
 口ではそう言うがちっとも聞く耳を持たないまま目の前の子どもは走り出す。
 子ども。どうやら私の恋人は子どもになってしまったらしい。何を言ってるかわからないと思うけれど、私自身まだ混乱している。
 昨夜寝る時には確かに恋人といたはずなのに、今朝目が覚めると隣に眠っていたのはこの子だった。特徴的な形の凛々しい眉、健康的に日焼けをしたような褐色の肌、女性の私よりも長いのではないかと思うような長い睫毛、すっと通った鼻筋と柔らかそうな唇。どれを取っても美しい、私の愛しい恋人。ただ一つ変なのは、そのサイズだけだった。
 一瞬何かのドッキリかと思ったが、一向に種明かしをされる気配もない。目覚めた彼は記憶も子どもに逆戻りしたようで、私のこともわからず最初は大騒ぎだったけれど、彼のお兄さんである平之丞さんの名を出し、彼に頼まれ一緒にいると咄嗟に述べればあっさりと信用した。そういう思考回路も子どもと同様になっているらしい。あまりの安直さに心配になる程だった。
 
 そんなこんなで、原因不明の幼児化を遂げた恋人をどうしたもんかと頭を悩ませていると、小さくなった音くんは窓の外を眺め目を輝かせていた。
「雪じゃ! 雪が積もっちょっ!」
「え? うん、もうこの時期は積もり始めるんだよ」
「凄かね、おいん住んところ住むところではなかなか雪が積もっところは見られん」
「……あー、そうか。子どもの頃の記憶、ってことはそうなっちゃうのか」
 今彼は北海道に住んでいるのだが、生まれは九州の南の方。雪が降ることはあれどあまり積もりはしないと去年初めて一緒に過ごした冬にそう言っていたのを思い出す。
「そうだ、じゃあとっておきの場所に連れて行ってあげるね」
「どこじゃそこは⁉︎」
「ふふ、ちょっと待ってね」
 ソワソワと落ち着きのないちび音くんを見てこちらまでワクワクと楽しくなる。上着を羽織って音くんの上着も持って行って着せてあげる。そういえば、起きた時もぴったりの服を着ていたけれど、上着まで今の・・音くんにぴったりのサイズになっているなんて。本当に何から何まで不思議でたまらない。どこかの有名な薬で小さくなった名探偵でさえ、服は一緒には縮んでいなかったはずなのに。
「おい、はよ行っど!」
「ああ、はいはい」
 眉を顰め少し怒りながら急かす彼は、私が扉を開けて外へ案内するとまたキラキラと目を輝かせる。くるくると変わる表情は、大人の音くんとは変わらない。そう考えると、音くんってちょっと子どもっぽいのかも知れない。そんなところも可愛くて大好きなのだけど。
 
 そうして連れてきたのがこの場所だった。住んでいるマンションから少し歩いたところにある小さな空き地は、ほとんど誰も来ない私の秘密基地だ。雪が積もると障害物もほとんどなく、足跡も一つもついていない。
「ここがそうか!」
「うん。ほら、記念の第一歩を踏み入れてみたら?」
 隣で手を繋ぎうずうずとしている彼を促すと、雪に慣れてないにも関わらず走り出すものだから私は声をかけた。
「あんまり走るとこけちゃうよ、気をつけて!」
「わかっちょっ!」
 そう言った数秒後には派手に転んで、地面には音くんの型が取れたみたいになっていた。音くんにはそれすら楽しいようでキャッキャッと声をあげて笑っていた。
 サクッサクッと小さな音を立てながら小さい音くんが雪道に新しい足跡を残していく。たったそれだけなのに楽しんでいる音くんを眺めながら、子どもがいるってこんな感じなのかなぁと思っていた。
「なあ、おいナマエ。なあ……」
「そんなに呼ばなくても聞こえてるよ」
 あれ? でもさっきまで小さい音くんは私の事をお姉さんと呼んでいなかったっけ? 聞き馴染んだ声で呼ばれる私の名前に心地よさを覚えながら音くんへと近付こうとするけれど足がもつれて上手く歩けない感覚になる。
「ナマエ、おい、ナマエ」
「はぁい、今行くよ――」
 
 記憶はそこで途切れていて、目を開けるとそこには見慣れた愛おしい顔があった。
「あ、れ? 音くん、元に戻った?」
「何を言ってるんだ? 何度声を掛けても起きんから心配したぞ」
「……へ?」
「ほら、雪が積もってるぞ。もうそんな時期だなぁ」
 慌てて体を起こせば、そこには昨夜の続きがあった。小さい音くんはそこにはおらず、ちゃんと大きな音くんがそこにいた。
「……ゆめ?」
「ん? なんか変な夢でも見たのか」
「……あはっ、そうみたい」
 心配そうに覗き込む音くんは、私が夢の内容を思い出してくすくすと笑っていると安心したように微笑んだ。そうして、窓の外に視線を移し「去年教えてもらったとっておきの場所に今日は行こうか」とキラキラと輝く目を向けた。やっぱりくるくる変わる表情は小さい頃から変わらない。
「うん、じゃあ支度しちゃうね」
「……夢といえばな」
「うん?」
「去年、あの場所に連れて行ってもらった時、どこかで見た事ある場所だなあと思ったんだ」
「そうなの?」
「ふと思い出したんだが、昔……あまり覚えてはいないんだが、かなり小さい時に、兄の友人らしいお姉さんに連れられて、そこで遊んだことがあったような気がする」
「……えっ?」
「そういえば、そのお姉さんはナマエによく似ていた気がする。まあ、昔の記憶だし、夢で見たものかも知れないがな」
 温かいコーヒーを淹れながら、音くんはそう言う。
「そっか。じゃあ私たち、ずっと前にも会ってたんだ」
「ん?」
「ううん。なんでもない」
 ベッドを抜け出して洗面所へ向かいながら、不思議な事もあるもんだなと考えていた。でも、これってなんだか運命みたいだな、なんて事も一緒に。

このお題、ギリギリまで何も思いつかず頭を悩ませたのを覚えています。結局「小さい音」に引っ張られて小さな音くんが出てくる話になりました。