十七日目「隠れてキス・なんてね・暗いところ」

 それはほんのイタズラ心だった。私がいないと思ったら、どんな顔をするかな。驚いてくれるかな。たったそれだけのイタズラ心。
 幼い頃、共働きだった両親と鍵っ子だった私。いつもは母が帰宅する頃には私も家にいて、一人宿題をしながら待っていた。だけどある日ふとイタズラ心が芽生えて、母の帰宅する時間にわざと家中の電気を消してこっそりと部屋の中で息を潜めて待ったのだった。
 そう、心境としてはあの時と同じ。
 
 一緒に住んでいると言うのに最近残業続きの基さんとは、なんとなくすれ違いの生活が数日続いている。珍しく今日は私も残業になってのろのろと帰宅すると、これまた珍しく「今日は早く仕事が終わった、これから帰る」なんてメッセージが届いていた。メッセージの受信時間から逆算すると、もう少しで基さんが帰ってくる頃だ。私は幼き日の事を思い出しながら、あえて電気をつけずにそっと部屋の隅の物陰に隠れた。探せばすぐに見つかるけれど、部屋に入ってすぐだと死角になる場所。いつもならいるはずの私がいないとなると基さんはびっくりするかしらなんて。

 ああでも、そういえば子供の頃のあの日には、母はどんな顔をしてどうしたんだったっけ?
 
 ぼんやりと考えていると、玄関からガチャリと鍵が開く音がした。基さんだ。息を潜めて彼が入ってくるのを待った。
「ただいま……ナマエ? 帰ってないのか?」
 真っ暗なままの部屋の中で、基さんの声だけが響く。
「……既読はついてるけど、返事もないな……いつもならこの時間にはいるはずだが……」
 ボソボソと何か話しながら、基さんはソワソワとスマホで時間を確認していた。
「……事故、とかじゃ、ないよな」
 ぽつりと基さんがつぶやいた後、基さんはすごい勢いで鞄を置き、そして脱いだ上着をもう一度羽織って玄関へと向かう。あ、これはまずい。思っていた以上の反応をされてどうしようかと慌てていると、ポケットに入れたままにしていた私のスマホが軽快な音楽を鳴らしながら震えた。玄関から再びこちらに向かってくる足音に、私はまるで赤子にいないいないばあでもするかのように顔を手で覆って隠していた。
 
「……こんな暗いところで、何してるんだ」
「え、えへ。ちょっと基さんを驚かしちゃおうかなー、なんて、ね」
「……」
「び、びっくりしたー?」
「……」
「ほんのイタズラ心だったんです! そんなに心配するなんて思ってなくて! ごめんなさい!」
「……まったく。いつも連絡をまめに返してくるのに何もないし、姿はないし。何か事件や事故に巻き込まれたかと」
「心配性だなぁ」
 ヘラヘラっと笑うと、ムッとした顔を基さんは私に向けた。あ、これ結構怒ってるやつだ。
「あ、あの、基さん……あのね?」
「なんだ」
「あの……ちょっとこっちに来て」
 むすっとした顔をしながらも、手招きをする私の元へとゆっくり歩み寄ってくる基さん。そんな優しいところが好きだよ、なんて思いながらコソコソ話をするように口元に手を当ててもう一度基さんを呼び寄せる。訝しげな顔をしながら顔を寄せた基さんの頬を掴み、そっと唇にキスをした。こんなに広い部屋の中で、かくれんぼをしたままの物陰に隠れてキスをした。
「最近基さんとゆっくり出来てなかったから、拗ねて隠れてた、って言えば許してくれる?」
「……いや、許さん」
「ちぇっだめかー」
「そんな子供じみた言い訳で許せるか」
「ごめんなさーい」
 少し本音なんだけどな、なんて考えながら私は幼いあの日の事を思い出していた。そういえばあの日母も、すごい形相で私を探しながら部屋を飛び出して行ったっけ。慌てて追いかけた私を見て、半分泣きそうな顔でとても怒られて、二度とこんな事はしないぞと誓ったんだった。あれから十数年の時を経て、同じ事をしているのだから成長がない。
 
「でも、寂しかったのは本当だからね」
「それは、まあ悪かった」
「ううん。いつもお仕事お疲れ様。ご飯、すぐするね」
「たまには外で食うか?」
「わ、それもいいね」
 二人でゆっくり立ち上がって、もう一度キスをして。それから二人で玄関へと向かう。夕飯は何を食べようか、そんな事を話しながら、本当にもう二度とこんな事はしないぞと心に誓った。

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