ジンジャーブレッドマン

 他人ひとのお家に行く時というのは、いつだってドキドキする。
 ましてそれが、自分の友人ではなく恋人の友人宅ともなれば、余計にだと思う。
 隣で音くんは慣れた様子で駅からの道を歩いていく。以前からも何度か遊びに行っているというのは、話に聞いてはいたけど本当のようだ。
「月島先輩、会うの久しぶりだな」
「半年ぶりくらいか? OB会でも会っただろう」
「そうそう。でもあの時私月島先輩とはほとんど話してはないし、彼女さんとも会うのは初めてだからちょっと緊張する」
「大丈夫、すぐ仲良くなると思うぞ」
 にっこりと屈託ない顔で音くんは笑う。そりゃ、あなたはすぐに仲良くなったかもしれないけど。だってあんなに仲良しな月島先輩とその彼女さんだし。
 大学時代、サッカーサークルの先輩後輩だった二人と、マネージャーだった私。恋人になったのは音くんが引退してからだけど、二人は先輩が現役時代も音くんが引退した後でもずっと仲良しだった。というより、音くんがすごく月島先輩に懐いていた、に近いかもしれないけど。
 社会人になっても相変わらず仲良くしているようで、よく二人でご飯に行ったりしているようだ。最近では月島先輩に彼女ができたと聞いていたからその頻度も減るかと思ったのに、ついには三人で食事をしているという話を聞いて「それなら私も誘ってよ」とつい漏らしてしまったのがきっかけで今日に至る。
 今までそんなこと言ったことはない。つい口に出してしまった言葉にしまったと思う間もなく音くんは顔をパァッと明るくさせ、月島に聞いてみる! と早速電話したのだから頭を抱えてしまった。思いついたらすぐ行動なところ、好きなんだけども。
 そんなこんなで私は今、大好きな音くんと音くんの大好きな月島先輩の家へ向かっているのである。

 ピンポーンと呼び鈴を鳴らすと、すぐにガチャリと扉が開いた。モスグリーンのセーターを着た月島先輩が出迎えてくれる。いつもOB会は夏場にやる事が多いので、冬服の先輩が珍しく感じた。
「いらっしゃい、寒かっただろう」
「大丈夫です。ご無沙汰しています」
「邪魔するぞ」
 音くんは勝手知ったるという感じで家へと上がり込んだので、私も慌ててお邪魔しますと言ってそれについて行った。
 家に上がると、ふんわりとコーヒーのいい匂いが鼻を掠めた。音くんの大きな背中について短い廊下を歩いていくと、小さいけれど綺麗に整えられたキッチンがあった。そこに立っている肩ほどの長さの髪を一つに結んだ女性が、私たちの姿に気付くとすぐさまにっこりと笑って会釈をした。
「鯉登くん、それからオトユメさん。いらっしゃい」
「は、初めまして。オトユメと言います。今日は急にすみません」
「こちらこそ初めまして、ナマエです。よく月島さんや鯉登くんからお話聞いてるから、お会いできて嬉しいです」
 ナマエさんは、朗らかに笑う人だった。狭いけどどうぞ、とリビングのソファに案内されて、促されるままに腰を下す。
「コーヒーでよかったですか? 紅茶もありますけど」
「あ、お構いなく」
「オトユメも私もコーヒーで大丈夫だ」
「それならよかった」
 部屋へと戻ってきた先輩がテーブルを挟んで私たちの前に座った。音くんは慣れたものだろうけど、私は落ち着かなくてそわそわしてしまう。すぐにナマエさんもやってきて、コーヒーカップを四つテーブルに並べた。座ろうとした後に、あっと言って再び立ち上がったかと思えば、スティックシュガーとコーヒーフレッシュを小皿に入れたものを私たちの前に置いた。先輩たちはそのままブラックで飲んでいるから、いつも少し甘めにして飲む音くんに合わせて準備されているんだろう。本当によく会っているんだなとそれだけで思った。私も一つずつ手に取ってカップの中に落とす。ほんのりと茶色に変わっていったコーヒーをひとくちふたくち流し込むと、音くんが思い出したように持ってきた荷物を掲げた。
「そうだ、今日はこれを持ってきたんだ」
「いつも手土産はいいと言っているのに」
 そう言いながらもありがとうと月島先輩は音くんが差し出した紙袋を受け取った。そういえば行く途中でケーキでも買っていこうかとする私に、お菓子をすでに持ってきているからと音くんが言っていたのだった。
「この間兄さあと買い物に行った時に見かけてな。みんなで作って食べたら楽しそうと思って買ってきたんだ」
「……待って、作って食べる? 音くん、何買ってきたの?」
「もしかして今から調理するのか?」
 お菓子としか聞いてなかった私は思わず冷や汗をかいた。音くんはよく来ているかもしれないが、私は初めてのお宅なのだ。これからみんなで作るって、一体何を持ってきたというのだろう。
「違う違う、いいから開けてみてくれ」
 みんなが首を傾げている中で先輩が袋の中身を取り出す。出てきたのは、海外製のお菓子の家を作るキットだった。そういえば少し前にご家族が倉庫型の大型スーパーの会員になったとかで出かけた話を楽しそうに話してくれていた。その時にこれを買ったのだろう。
「家で作ろうかとも思ったんだが、兄さあがシナモンが苦手でな。この間三人で食べたアップルパイにもシナモンはたっぷりだったが、二人は平気そうだったし大丈夫だろう?」
「なるほど、ジンジャーブレッドクッキーで作られているのね。私たちは大丈夫。これ、お湯とか沸かしたほうがいいのかな」
 ナマエさんが箱の裏側を確認しようとすると、月島先輩が説明書みたいなのが中にあるんじゃないかと早速箱を開けた。特に下準備は不要だったようで、早速作っちゃう? なんてワクワクしたような顔をしてナマエさんが私たちに問い掛けた。
「私、お菓子の家作るの初めて。子どもの頃そんなに見かけなかったから」
「確かに最近は見かけるが、昔はあまり売ってなかったよな」
「私は前に一度だけ。あの時も音くんと一緒に作ったよね」
「そうそう。二人じゃ多かったから、次は大人数で作りたいと思ってたんだ」
 まだ学生だった頃、付き合い始めて最初のクリスマスに私の家で作ったことがある。こんな大きいのじゃなくて、近くのスーパーで買った小さめのものだったのにすぐにお腹いっぱいになっちゃってどうしようと笑い合ったのを思い出す。
「人数が二人増えても、この大きさじゃあの時と同じことになりそうなんだけど」
「む、確かにそうかもしれないな」
「大丈夫、多分月島さんが全部食べちゃうから」
「ああ、任せろ」
 音くんは仲良しだけれど、厳しい指導をしていて怖い先輩だというイメージが月島先輩にはあった。だから、ナマエさんの横で柔らかな空気を纏う先輩が私には新鮮に映る。あんなに緊張していたのに、いつの間にか私の心もほぐれていくのを感じた。

 結局私たちはみんなで盛り上がりながらお菓子の家を完成させ、作ってはすぐに崩して食べた。やっぱり量は多かったけど、言っていた通り月島先輩が最後までペロリと食べ切っていた。その頃には、私もすっかり打ち解けていた。帰る間際、ナマエさんと連絡先を交換するくらいには。
「いい人だったね、ナマエさん」
「ああ、月島もあの人と付き合うようになって、少し雰囲気が変わっただろう」
「うん、そんな感じがする」
 お菓子を食べてあんなにお腹いっぱいだったのに、どうしても口がしょっぱいものを欲してコンビニに寄って肉まんを買った。一つじゃ多そうだから、二人で半分こにして近くの公園のベンチに腰掛けて。もうすぐ夕飯の時間なのに、今日はもうこれでよさそうだ。
「また四人で遊ぼうね」
「うん……それは私としても嬉しいが」
 私よりも先に肉まんを食べ終えてしまった音くんは、そっと私の肩に頭を預けた。
「月島たちと会うのも楽しいが、オトユメとあまりくっつけなくて今日はつまらんかった」
「なぁにそれ。自分でセッティングしといて」
「そうだな……そうなんだが」
 確かにここ最近お互い仕事が忙しくて、ゆっくり会うのは久しぶりだった。それなのに二人でデートじゃないの? って最初は私も少しだけ思っていたけど、音くんも少しは寂しがっていてくれたらしい。唇を尖らせて黙り込んだ彼が可愛くて、左手を彼の指に絡ませる。
「まだ今日は終わってないよ」
「でも今日は泊まりでもない」
「それでも、もう少し一緒にいられるでしょ」
 ぱくぱくっと残っていた肉まんを食べ切って、私は音くんの手を握り立ち上がった。
「どうする? どこか行く? それともうちに来る?」
「家、行く」
 嬉しそうな顔をする彼の手を引いて、私たちはゆっくりと家へと向かった。私たちの甘い時間は、まだまだこれからだ。

鯉登くんと月島さんが仲良しすぎるので(?)夢主さん同士も仲良しになりそうだと常々思ってます。