イルミネーション

 この時期になると世界が輝いて見えるのは、多分きっと至る所でライトアップがされているからだろう。
 師さえも走るほどだから師走とはよく言ったもので、教師でも僧侶でもない一般会社員の自分も、例に漏れず日々慌ただしく仕事に追われている。もっとも、それは今に限ったことではないのだが。
 それでも例年よりもいくらか心穏やかに過ごせているのは、彼女の存在があるからだろうと思う。
 昨年から少しずつ距離を近づけ、今年の春先から付き合いを始めた恋人。数ヶ月前からは一緒にも暮らし始めた。
 家に帰れば好いた女が迎えてくれるというのは、思っていた以上に心に安寧をもたらしてくれた。例えそれが寝顔であってもだ。繁忙期であるこの時期でも、少しでも早く帰ろうと思うようになったのは、決して悪くない傾向だと思いたい。
 もっとも今日は、自分の意思とは別で残業なしで退勤したのだが。
 仕事納めに向けて忙殺されている中、クリスマスくらいはみんな早く帰って家族や恋人と過ごせという上司の計らいで今年はノー残業デーとされていた。まあ、おそらく上司本人が今年生まれたばかりの娘さんや奥さんとゆっくり過ごしたいからだろうと思うが、それでも部署内のみんなは感謝していた。自分も、例に漏れずだ。
 その旨を彼女に伝えると、「それならその日はデートしよう。イルミネーション見て、外でご飯食べて。どう?」とキラキラした目で提案された。最近は休みが合っても家で過ごすことが多かったから、もちろんだと二言返事で約束を交わした。久しぶりに互いの仕事終わりに待ち合わせをして出かけるというのは、どことなく新鮮な気持ちで俺自身楽しみにしていた。
 ポケットに手を入れたまま、待ち合わせしていた場所に立っていると手のひらのスマートフォンが震えた。取り出して通知を確認すると、もうすぐ着くという彼女からのメッセージだった。
 こちらは大丈夫だから、ゆっくり来いと返事を打って空を見上げる。輝く街のせいで星は見えないけれど、月が綺麗に見えた。あの日もこんな夜だったなと不意に思い出して目を閉じた。

 去年の十一月だった。仕事の取引先の営業事務をやっているナマエとふとしたきっかけで同郷だという事が分かり親しくなり、食の好みも合いそうだと時々食事に誘い合うようになった。その日は確か、三度目か四度目のご飯会だった。あの頃はただのご飯友達というだけで、それ以上の理由はなかったように思う。
 まだ仕事の忙しくない時期で、お互い定時に仕事を終え中間地点であるこの駅で待ち合わせをしていた。今日と同じように俺の方が先について待っていると、改札を抜けた彼女がキョロキョロと周りを見回していた。俺と目が合ったかと思うと、白い息を弾ませながら急ぎ足で近付いてくる彼女に「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」と笑いが溢れた。
「寒かったんじゃないですか? 鼻の頭、赤いです」
「大丈夫ですよ」
 自分では変化がわからず、思わず低い鼻を指で撫でる。確かに冷たいが、どうという事はなかった。
 それじゃあ目的の店に行こうと歩き出したところで、駅前のイルミネーションが点灯し始めた。暗くなるのが早くなってきたと感じてはいたが、もうそんな時期かと思っていると、隣で彼女が小さく「わぁ、綺麗……!」と感嘆の声を上げた。
「私、点灯する瞬間初めて見ました。いつも気が付いたらついてるものだったから」
「確かにそうですね」
「一斉に輝いていくの、すごくすごく綺麗でしたね!」
 俺よりわずかに背の低い彼女が、目をキラキラとさせて俺を見上げた。イルミネーションよりもその瞳の輝きがあんまり綺麗で、息を呑んだのを覚えている。光にちかちかと目が眩んでしまったように、俺は彼女の顔が見れなくなって「本当、綺麗でしたね」とイルミネーションを見るふりをして顔を逸らした。
 その日食べた食事の味はあまり覚えていない。思えば、あの時あの瞬間から、俺の心は彼女に奪われたんだろうと思う。

 そんな事を考えていると、聞き慣れた足音が近付いてくるのが聞こえてその方向へと振り返る。あの頃ほど急ぎ足ではない彼女が、それでも少し息を弾ませて近寄ってきた。
「ごめんね、お待たせ。寒くなかった?」
「大丈夫。ナマエこそ、急いできたのか? 鼻の頭が赤いぞ」
「え、嘘!」
「冗談だ」
 もう、と頬を膨らまして軽く小突いてくる彼女の手を笑いながら取る。
「そろそろ予約の時間だから行くか」
「うん。帰りにまたゆっくりイルミネーション見よう」
「そうだな」
 あの頃と変わらないキラキラとした目で見上げる彼女の手を強く握った。
 世界が輝いて見えるのは、多分きっと至る所がライトアップされているからで、そしてそれを隣にいる彼女と見られるからなのかもしれない。