突然視界に入ってきたその姿に、私は見間違いかと目を疑った。
小さく「えっ」と呟いて立ち止まってしまった私を、隣にいる尾形は不思議そうに見下ろした。
「なんだ、何か気になるものでもあったのか?」
「ねぇ、あれさ……」
人が賑わうクリスマスマーケットの中、数メートル先の店の前で並ぶ二人組を指さす。視線を私から向けられた指先へと移した彼もまた、「ほう」と小さく呟いた。
「あれ、やっぱり月島主任だよね?」
「そう見えるな」
「え、え、じゃあ隣にいるの彼女とかかな?」
同僚でもある尾形の言葉に、やはり上司の月島さんだと確信する。ゆっくり歩みを進ませると、少し小柄な坊主頭に低い鼻のシルエットがよりはっきりとわかった。その隣には、彼よりも少し背丈の低い女性が店に並ぶクリスマス雑貨をじっくりと吟味している。こちらからは顔が見えないのでどんな女性かはわからない。
「最近月島主任、残業減らして帰ってたもんねえ。わあ、彼女がいるからだったのかな?」
「さあな」
興味なさそうに言う尾形の腕を引いて、もう少しだけ近くに行こうよと提案する。月島主任の彼女が気になると言うのもあるし、元々その隣の店に行きたいと思っていたからだ。
やめておけよ、と彼は眉を顰めたけれど構わず進む。近づくほどに、主任の表情もはっきり見えるようになって、私は思わずどきりとした。
月島主任って、あんな顔するんだ。
私たちの上司である月島主任は、厳しいところはあるけれど頼り甲斐がある人だ。取引先にはにこやかに対応しているけれど、社内では基本的に無表情というか、険しい顔が多いイメージがある。だからこそ、仕事がうまく行ったときや飲み会などふとした時に見せる笑顔とのギャップに隠れファンは多い。何を隠そう、私もその一人だ。月島主任は推し上司なのである。もちろん、恋愛的な感情は全くない。
その主任が、見たことない優しい表情で、隣の女性を見つめていた。その眼差しだけで、主任にとって彼女がどれだけ大事で愛おしいものなのか伝わってきそうなほどに。
何故だか心臓がギュッと締め付けられて、尾形の腕を離し「やっぱ、もし気付かれて邪魔しちゃ悪いしあの店後から行こうか」と振り返った。
「ははぁ、時すでに遅しのようだぞ」
「え?」
「なんだ、尾形とオガユメじゃないか。お前たちも来ていたのか」
「つ、月島主任。お疲れ様です」
振り向くと、いつもの表情の月島主任がそこにはいた。少し後ろで、彼女らしき女性が会計を済ませ慌ててこちらへ駆け寄ってきた。
「月島さん、お待たせしました。こちらの方たちは?」
「会社の部下たちだ。尾形に、オガユメ」
「あぁ! お電話取り継いだことがあるかもしれません」
いつもお世話になっていますと頭を下げ彼女が名乗ると、尾形はピンときたようで「あぁ、もしかして夢や商事の事務員の」と呟いた。夢や商事とは、うちと取り引きのある会社で以前は尾形が、今は月島主任が営業の担当をしている場所だ。
「ははぁ、取引先の女性ととは、主任も隅に置けませんなぁ」
「ん。あぁ、まあ、なんだその」
「もう尾形ったら嫌な言い方して。もちろん誰にも言ったりしませんよ、私たち」
バツが悪そうな月島主任と戸惑う女性に慌ててそう言うと、尾形は私の肩を抱いてニヤリと笑った。
「まあここはお互い様ということで。俺たちも何も言いませんから、主任も社内で俺たちのことは内密にお願いします」
突然の尾形の発言に私はギョッとして見上げる。月島主任も目を見開いて私たちを交互に見た。
「……お前たち、仲が良いとは思っていたけど、そういうことだったのか」
「ちが……わ、ない、ですけど……あの、社内では一応内緒にしてるんで……」
ゴニョゴニョと口籠もる私に主任はたまに見せる優しい顔を浮かべる。
「お前らの仕事ぶりに影響は出ていないようだし、気にしない。仲良くやれよ」
「それはもちろん。では、デートの邪魔をしてすみませんでした。失礼します」
にこりとよそ行き用の笑顔を浮かべて主任と女性に挨拶をした尾形が、私の肩を抱いたままグイッと進んだ。ぺこりと小さく頭を下げて、私もそれに合わせて歩いていく。
少し離れたところで足を止め、「いつまでこの状態でいるつもり?」と彼に問いかけた。
「何がだ?」
「これ。外で肩なんて抱いてきたことないのに」
肩に置かれた手を指さすと、するりと彼はその手を下ろした。心なしかむすっとした顔で整えた髪を撫でている。
「お前はやっぱり、主任が好きなのか」
「え?」
「彼女のこと、気にしてただろ」
彼の黒い瞳が揺れている。尾形こそ、そんなことまだ気にしてたのかと私は笑った。
「あのね、前にも言ったけど月島主任はあくまで推し上司なの。憧れなの。ファンみたいなものなの」
「……」
「それで、私の好きな人で恋人は君なんですよ、尾形くん?」
照れ隠しでそんな風にふざけて言うと、尾形は納得しないような顔をして髪を撫で付けた。仕事をしている時はあんなに自信家なのに、彼はこういう時には途端に自信がなくなるらしい。
「さっきのはさ、あの仕事の鬼の主任があんまり優しい顔してるから気になっただけ。ファンとしてね、あくまでも」
「どうだか」
「もー」
目を逸らそうとする彼の前に立ち、背伸びをして両手で彼の頬を包む。私と目を合わせるように顔を固定して「ちゃんと私の目見て。私は尾形が好きって、まだ伝わらない?」と言った。
彼の瞳がキュッと細くなる。何度か瞬きをした彼は、いつも通りの顔に戻ったあと「ははぁ、このままキスでもされるかと思ったぜ」とニヤリと笑った。
「こんな人混みでそんなことしないわよ」
「今のこの状況もまあまあ恥ずかしい光景だと思うがな」
「確かに」
ようやくいつもの調子に戻った彼に、頬に触れる手をそっと下ろす。彼はそのまま私の手を取って、また静かにクリスマスマーケットの中を歩いていった。
全く面倒くさい男なんだから。そう思いつつも、不意に彼の見せる表情がさっきの月島主任のようにドキッとするくらい優しいことを知っている私は、触れる手をギュッと握り締めた。私の君への想いが全部、この手を通して伝われたいいのになんて、そんな事を考えながら。