雪景色の街

「すっかり暗くなっちゃったね」
 店を出てすぐナマエは空を見上げ、そして振り返った。店に来る前と違うのは、彼女の首にネックレスがつけられている事だ。光を反射してきらりと輝く、一粒ダイヤの。
「思ったより時間がかかったな」
「ね。よく考えたら結婚指輪もこの間一緒に選べばよかった」
「そのネックレスを決める時だって時間が掛かったんだから、結局二回に分けて正解だっただろう」
「それもそうかも」
 彼女ははにかみながら指先で首飾りを撫でた。
 プロポーズをした翌日、早速ダイヤモンドを購入した店へ行った。色々なデザインの指輪を勧められたが、最終的に彼女はネックレスにすることを選んだ。元々指輪をあまりするタイプじゃないから、結婚指輪をつけるのなら重ねてつける婚約指輪より、ネックレスという形の方が身につけやすいという事だった。
「すっごく悩んだけど、気に入ったデザインが見つかってよかった」
「そうだな」
 昨夜から降り積もった雪景色の街で、何度も首元をさすりながら彼女は嬉しそうに笑う。こんなに寒いというのに、マフラーも巻かずにネックレスを喜んでつけている彼女に愛しさが込み上げる。
 こんなに愛おしい存在が、俺に出来るなんて思っていなかった。
 母親は俺が生まれてすぐ死んだ。死因ははっきりとは知らない。誰も教えてくれる人間などいなかった。だけど、酔った父親が時折俺を殴りつけながら「お前のせいで」と言っていたのを見ると、俺の出産が原因だったのではないかと思う。父親は碌でもない男だった。それでも、母親の事は愛していたのだろう。酒に溺れ体を悪くし亡くなるまでの間も、父は母の写真を離さなかった。俺の記憶の母は、酔った父が握りしめている写真の中の笑顔の女だ。
 俺にとって、父親は碌でもない男だった。だけどもし、いつかナマエが同じように子を身ごもってその時に万が一のことがあったら、俺はその子供を愛せるのかわからなかった。父親と同じようになるのではないか、それがただ不安だった。
 だから今朝、出かける前に何気なくナマエが言った言葉に、俺は何も言えなかった。
 彼女はきっと、子供が欲しいと思っているだろう。子供が好きなのは知っている。すでに娘がいる鶴見部長の話を聞くと、俺もナマエとの子供をと思う気持ちもある。だけどそれ以上にその不安が、俺の中には渦巻いている。
 そんな事を考えていると、隣でクシュンっと可愛いくしゃみが聞こえた。他は着込んでいるのに、首だけが無防備のナマエが鼻の頭を赤くして震えている。
「やっぱり寒いんだろう。マフラーをつけろ」
「だってネックレス」
「これからだって、いくらでもつけられるだろう。ほら、風邪引くぞ。巻いてやる」
 そこまで言うと彼女は渋々バッグの中からカシミヤのマフラーを取り出し、自分で巻いた。
「ふふ、あったかい」
「まったく。お腹も冷えてないか?」
「カイロあるから大丈夫。薬も効いてるから、痛くないよ」
「それならいい。何か体温まるもの食べて帰るか」
「さんせーい!」
 無邪気に笑った彼女は、そのまま俺の手を取って指を絡ませた。まだ時刻は夕方だと言うのに、すっかり暗くなった空の下キラキラと輝くイルミネーションの街中を歩いていく。
 どこの店に行くかと考えている俺の隣で、ナマエがある一点を見つめているのに気付いた。真っ白なドレスの飾られたショーウィンドウ。
「ああいうの、着たいか」
「えっ!? あ、いやそういう訳じゃないけど、なんか目に入ったというか」
「ナマエに似合いそうだな」
 慌てて弁解する彼女をまた愛しく思う。彼女を大事に育てたご両親だって、きっと娘のウェディングドレス姿を楽しみにしているだろう。先日の帰省の際に、言葉の端々からそれは感じていた。
「結婚指輪が出来上がる前に、ドレスも見に行こう」
「いや、本当にいいよ」
「大きな式はしてやれんと思うが、身内だけの小さな式とか写真だけとか今は色々あるんだろう? そういうのはしよう」
「でも」
「何より、俺がドレス姿を見たいからな」
 そう言うと彼女は目を丸くした後、またはにかんで笑った。
「私だって、基さんのタキシード姿見たい」
「多分似合わんぞ」
「似合うよ絶対! あ、でも袴姿も見たいな〜」
「和装も確かに悪くないな」
「うーん、どっちも試着だけなら出来ないかな︎!? 欲張りかな〜」
 楽しそうに考えている彼女を見ながら、また揺れ動く気持ちに蓋をした。俺だって欲張りたい。だけどもしも万が一を考えると、どうしても覚悟を決められない俺を意気地なしだと彼女は笑うだろうか。
 吐く息が白くなり空へと消える。夜になっていく街の中で、俺はもう一度ナマエの手を強く握りしめた。せめて彼女のドレス姿を見るまではまだ、意気地なしのままでいさせてくれ。

月島さんの母親に関する描写がなさすぎて完全に捏造しました。ご容赦ください。