三千世界の愛を束ねて

 ずっと、会いたい人がいた。
 その人を初めて夢に見たのは幼少期。どこか知らない街並みの中、心細くて泣いている私に、軍服を着た男が手を差し伸べてくれた。顔を覗き込んでも、あまりに深く被った軍帽のせいで表情なんて見えやしない。それでも、この人は大丈夫だと思いその手を取った。「大丈夫。大丈夫だ」そう言って私の小さな手を包み込んだカサついた大きな手が、夢だというのに暖かかったのを覚えている。
 幾度となく同じような夢を見た。彼が誰なのか、なぜ私がそんな場所にいるのかはわからなかった。ランドセルを背負って学校に通う頃には夢を見る頻度も減ったが、不意に思い出したようにその男の夢を見ていた。
 その人が誰なのかを思い出したのは、大学卒業を間近に控えていた頃だった。いつものように男の夢を見て、ああ久しぶりにこの人に会えたなぁと思いながら目が覚めた後、脳内にたくさんの映像が流れてきたのだ。以前見た映画か何かなのかと思うほどの情報量。だけどそれは、映画でもドラマでもない、紛れもなく全ての記憶だという確信があった。
 夢で見る軍人は、私のかつての夫だった。

 当時の私は、いわゆる行かず後家であった。親の決めた許嫁はいたが、婚姻の契りを結ぶ前に戦地へと赴き骨の欠片となって戻ってきた。恋慕の情はなかったものの、それでもやはり気落ちする日々が続き、新たな縁談に乗る気にはならないまま時が過ぎていた。ようやく前を向けた頃には行き遅れていたのだ。少しでも気が変わったのであれば善は急げと父がいくつかの縁談話を持ち帰ってきた。
 そして出会ったのが、月島基という男だった。
 初めは乗り気ではないようだったが、上官からの強い勧めという事で見合いをし何度かの逢瀬を重ね、私たちは夫婦になった。お互いの意思というよりも、周囲からの圧に押されての婚姻に近かったような気がするが。それでも私は、逢瀬を重ね生活を共にしていく内に彼に惹かれ、心から彼を愛するようになった。生憎子供には恵まれなかったが、彼が軍を退いた後も最期の最後まで仲睦まじく過ごしたと思う。
 先に旅立ったのは私だった。流行病に侵され、床に伏した私の手をカサついた大きな手がずっと握りしめていてくれた。
「私の方が先にだなんて、順番がおかしいわよね」
「まだそうと決まっていない」
「貴方、一人でも大丈夫かしら。ちゃんとご飯を食べてね。無茶はしないで」
「こんな時に、俺の心配なんか」
「そこは大丈夫と言って、私を安心させてくださいな」
 グッと結ばれた唇を見て、思わず笑みが溢れる。何か困ったことがあった時に相談したら貴方、いつでも大丈夫だと言っていたくせに。こんな時には言ってくれないのね。
「もしも来世があるとしたら」
「来世?」
「そう、もしも、輪廻転生、生まれ変わりがあるのだとしたら、また貴方と出会えるかしら」
「……もし、もしもがあれば、きっとまた」
「ちゃんと見つけてくださる?」
「ああ。大丈夫。大丈夫だ」
 ようやく貴方の大丈夫が聞けたわね。そう言って笑ったところで、私の記憶は途切れている。恐らく、そこで息を引き取ったのだろう。

 彼との記憶が戻ってから、私はどこにいても不意に人を探すようになった。基さん。かつての夫の姿を。
 現世で生きている私は、あの頃とは姓は違うけれど、名前は同じものだった。容姿も、多少の違いはあれど前世と大差ないものだと思う。だから、きっと基さんもこの世にいるのであれば同じだろうと思った。いやもしかしたら、髪型くらいは違うかもしれないけれど。
 休日の午後。一人でウィンドウショッピングをしながらも、癖のように行き交う人々を確認しながら歩いた。そしてようやく私は見つけたのだ。
 かつて愛した人、今もあの頃と同じように坊主頭で背はさほど高くないけれど、がっしりと頼りになる肩幅。低い鼻に皺を寄せ、隣の人と微笑みあっている姿を。心臓が痛かった。彼を見つけた喜びと同時に、隣で笑う癖っ毛の女性の姿にまた記憶が蘇る。
『俺も、貴女と似た経験があった。将来を約束した大切なひとがいた。――まあもう昔のことだが』
 いつだったか一度だけ、そう話してくれたのを思い出す。確か癖っ毛がひどく、島の人間に揶揄われていたと言っていた。もし、あれがその女性だったら? 私よりも先にその人と出会って、今世こそは彼女と、と思っていたら。
 心臓が痛い。酸素を吸い込もうとするのに、空気が喉の奥に張り付いて呼吸が上手くできない。思わず倒れそうになった時、少し先を歩いていた彼と視線が絡み合った。一瞬目を見開いた後、周囲の人をかき分けるようにしてこちらへと駆け寄ってきた。
「……っ、ナマエ、か!?」
「は、じめ、さ、」
「基ちゃん? どうしたの?」
 ああそうか。今でも貴方も同じ名前なのね。ぼんやりとそんな事を思っていると、隣にいた女性がもしかしてと呟く。
「基ちゃん、この人なの? 前に言っていた人って」
「……あぁ、ようやくまた会えた」
「そうなの! でも、大丈夫ですか? 顔色がすごく悪そう」
「あ、は……い、大丈夫です」
「ちよ。待ち合わせに遅れるんじゃないか。こっちはいいから」
「そう? かえって私、お邪魔になっちゃうかしら。じゃあ、またね基ちゃん」
 心配そうな表情を浮かべたまま、何度か彼女はこちらを振り返りながら去っていった。基さんはその間もずっと、「大丈夫。大丈夫だ」と私の背をさすりながら深呼吸を促していた。ようやく呼吸が整った私を見て、我に返ったように手を離した。
「すまない。急に、触れたりして」
「い、いえ……」
「その……ナマエ、なんだよな?」
「はい、基さん。……ずっとあなたに会いたかった」
 溢れる涙を隠すように目を伏せると、強く体を抱き締められた。あの頃とは違う香りなのに、それでも懐かしさが込み上げてくる。
「俺も、会いたかった」
「でも、さっきの人、」
「あの子は、ただの幼馴染だ。もう結婚している。この後旦那とデートだそうだ」
 どうして? それでいいの? と戸惑いながらも、ホッとしている自分がいる。ぐちゃぐちゃになった心は、涙となってこぼれ落ちる。
「ちゃんと、見つけられた」
「……あら、私が先に見つけたのよ」
 ほとんど同タイミングだっただろ。そう言ってまた低い鼻に皺を寄せて彼が笑う。先ほどよりも強く抱き締められて、私も同じように力を込めた。
 もしまた来世でも、こうやってあなたのもとへ辿り着くからね。でもそれを考えるのはきっと今じゃない。もっともっと、ずっと先の話でいい。しばらくはまだ、こうして再会を噛み締めていよう。 
 
 ――大切なひと・あなたのもとへ・目を伏せる

定期的にいご草ちゃんの影と戦ってしまう癖があります。苦しくなるのに。
それを乗り越えて打ち勝ちたいと思ってしまう欲深さをお許しください。