尾形ルート

「まあ、一応空いているけど」
 一応なんてもんじゃない。あのバレンタイン以来、本当言うとどこかで期待して週末はなるべく予定は入れないようにしていた。まあ、彼が出張続きでその努力は意味のないものになっていたが。
 そんな私のことなど知りもしない尾形に、ちゃんとしたデートのお誘いではなくこのような形で誘われて若干不本意な気分ではあるが、理由はなんであれ二人で出かけられるならば別段断る理由もなかった。
「じゃあ決まりだな」
「ん。何時にどこ?」
「この間と同じ百貨店でいいだろ? 時間はまた連絡する」
「わかった」
 そんな短いやり取りをして、お互いデスクへと戻った。この間は急にキスしてきたくせに、あれ以降ちっともそれらしい素振りも見せない尾形にどこかヤキモキしながら、私は仕事をこなしていく。隣の席に座る尾形は、涼しい顔をしてキーボードを叩いているけれど、だけどいつもより少しだけ機嫌が良さそうにも見えた。週末の約束をしたことがきっかけだったら可愛いんだけどなとチラリと考えて、私もキーボードを叩き続けた。

 無事に仕事も片付け、待ち望んでいた週末が来た。いつもよりも少しだけ時間をかけてメイクを施し、春物として少し前に買ったワンピースをおろした。春と呼ぶにはまだ少しばかり早い気もするが、今日の気温はほんのりと暖かいらしいから大丈夫だろう。
 待ち合わせ場所に着くと、一分と待たずして尾形は現れた。
「よう」
「尾形、おはよう。もしかして向こうで待ってた?」
「いや、今来たところだ。……今日、なんか雰囲気が違うな」
 彼の大きく真っ黒な瞳が、私の姿をジィと見つめる。なんだか気恥ずかしくて、じわりと背中に汗をかくのを感じた。
「そ、そう? へん、かな」
「……いや、悪くない」
 悪くない、なんて。他の人が聞いたらもっと言い方があると咎められそうだが、私の知る限り素直じゃない尾形の中では褒め言葉に値するその言葉に、胸が熱くなった。
「それならよかった。じゃ、行こうか。なんとなく目星はつけてるの?」
「いや、全く。お前らの中では最近どんな菓子が流行ってるんだ」
「うーん、流行りとかはないけど。定番どころで焼き菓子にしとけば間違いはないと思うけどなぁ」
 前回バレンタインの買い出しで訪れた百貨店は、ホワイトデーの際にもイベント会場を設営しているけれど先月に比べれば規模はとても小さい。限られた店舗の中から、職場の先輩たちが喜びそうなお菓子をいくつかピックアップしていくと、尾形は段々面倒くさくなったのか最後に見た店で「もうこれでいいだろう」と商品を選んで購入していた。
「結局定番って感じのものになったし、私いらなかったんじゃない?」
「あ? まだ終わってねぇぞ」
「え、まだ何かあるの?」
「お前は、何が欲しい」
「……私?」
 そういえば先月、逆チョコのようなものを貰ったけれど私の方からも改めてチョコレートを贈っていたことを思い出す。もしかして、今日のお誘いはそっちの方がメインだったのだろうか。自分用があると思っていなかった私は、ウゥンと小さく唸る。
「特に考えてなかった」
「じゃあ今考えろ」
「えぇ〜そうだなぁ……あ、じゃあさっき見たお店のとこ戻っていい?」
 二番目に入ったお店のバームクーヘンが、試食サイズをいただいたけれど甘さ控えめだったのを思い出す。あれならば、甘すぎるものが苦手と言っていた尾形でも一緒に食べられるのではないだろうかと思ったのだ。
 催事場をもう一度歩いていると、前方から「……ミョウジ? と、尾形……?」と聞き慣れた声がして顔を上げた。
「つ、月島係長!?」
 そこにいたのは、私の推し上司である月島係長で、思わず声が上擦ってしまった。隣には、綺麗な女の人も立っている。この間尾形が見かけたという、月島係長の彼女さんだろうか。
「あら、基ちゃんの会社の人?」
「ああ、うちの部署の部下だ」
「あ、月島係長にはいつもお世話になっております!」
「あらあら。こちらこそ、うちの弟がいつもお世話になっております」
 ふふふ、と口元に手をあてその女性は優しく微笑んだ。
「……係長、お姉さんがいたんですか」
「まあな。ところで、お前たちは、どうして……」
 戸惑った顔をして月島係長は私たち二人の顔を交互に見る。なんと説明しようかと考えていると、尾形にぐいっと肩を引き寄せられ、口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。
「ははぁ、そんな野暮なこと聞かんで下さい」
「……お前たち、そういう……」
「別にうちの会社は社内恋愛は禁止ではないでしょう?」
「ま、まあそうだが……」
「ちょ、ちょっと!」
「あら。じゃあお邪魔にならないよう行きましょう、まだあの人に頼まれた分のお菓子も変えてないんだし」
「あ、あぁ……」
 口をハクハクとさせている私をよそに、女性は柔らかな笑顔を浮かべたまま月島係長の手を引いて、二人はその場を後にした。少しだけ振り返ると、癖っ毛なのかパーマなのか判断に迷う髪を結い上げたその女性が、月島係長の背中を小さく叩いていた。「ドンマイ、基ちゃん」という言葉がなぜか耳に入ったけれど、一体何があったんだろう。
「なんか月島係長、ちょっと変だったね。大丈夫かな?」
「……お前は、本当に鈍いよな」
「え?」
「まあ今は、その鈍さが助かるよ」
「何それ」
 まああまり気にするなと髪を撫で付けながら尾形は言う。何が言いたいのかさっぱり真意がわからないけれど、尾形は時々こういうところがあるからいつもの事かとあまり深追いはしなかった。
「で、どれが欲しいって?」
「あぁ、さっきのお店で味見したバームクーヘン。あれなら尾形も食べられるかなって。せっかくだから一緒に食べられるものにしようよ」
「……ほぉ」
 少しだけ目を丸くした尾形は、すぐにニヤリと笑って目当ての店舗ブースへと歩き出した。含みを持ったその表情に首を傾げながらついていく。ブースにつくなり尾形は、二人で食べるには少し大きいサイズのバームクーヘンを包んでもらうよう店員に頼む。
「え、私こっちの小さい小分けのやつのつもりだった」
「別にこっちでいいだろう。一緒に食べるんなら」
「いや会社でおやつにのつもりだった。これだと切り分けなくちゃいけないじゃん」
「……今からなら、そのおやつの時間とやらに間に合うだろ」
「え?」
 「ここからならうちが近い。うちで食べていけばいい」
「……えっ」
「なんならお前のお気に入りの紅茶も買っていくか?」
 にやりと笑った尾形の顔にまた固まっていると、紙袋を持った店員が戻ってきて尾形に手渡す。彼はそれを受け取った後、反対の手で私の手を握り出口へ向かって歩き出した。
「そういえば、ホワイトデーに渡すお菓子には、種類によっていろんな意味があるらしいな」
「え、そうなの?」
「バームクーヘンを所望されるとはな、意外だったよ」
「え? え、なになにどう言う意味なの」
「ご期待には沿わんとなぁ?」
 意地悪く弧を描く彼の口元を見て、悪い意味ではない事だけは理解した。彼の家へと向かう途中、そっとスマホでその意味を調べた私は、思わず赤面をしてしまった。
 それでもまあ、そんな私を嬉しそうに見つめる尾形を見ていたら、このバームクーヘンが持つ意味はあながち私の本心として間違いではないのかもしれないと思った。
 先ほど食べた時は控えめだと思っていた甘さが、彼の家で食べた時には、口いっぱいに広がった気がした。