月島ルート
「悪いけど、他当たってもらえる? 私だって暇じゃないの」
本当言うと、別段予定はなく暇を持て余してはいる。ここのところ毎週末出張に出ている月島係長が、今週末は久しぶりにきちんと休みだと聞いて念のため予定は空けているけれど、特に約束をしているわけではない。
だけど、理由はなんであれ、他の異性と二人で出かけるのはなんとなく月島係長に対して後ろめたい気持ちを感じそうなため、私は断りを入れた。相手が例え同期の尾形であろうと、だ。
「……ハッ、予定があると?」
「うん。まあ」
「デートの予定があるわけでもあるまいし」
髪を撫で上げながらそんな風に笑う尾形にムッとして、さあどうでしょうねなんて言い返そうとすると、私の口から言葉が飛び出るより先に給湯室の外から声が飛んできた。聞き慣れたその声に、私の心臓は思わず跳ねる。
「週末なら、ミョウジは俺と先約があるが?」
「……係長?」
「つ、月島係長!」
尾形の影からスッと現れた月島係長の体に、心臓だけでなく肩もびくりと跳ねる。不意打ちだ。心なしか怒っているような顔をしている彼に、体に緊張が走った。サボっていると叱られてしまうだろうか。いやそれよりも、先約という言葉が耳に入った気がするが気のせいだろうか?
「ったくお前ら、戻ってこないと思ったらこんなところで何をサボってるんだ?」
「す、すみません。すぐ戻ります!」
「ミョウジは用事があるからちょっといいか。尾形、お前はさっさと戻れ。さっき取引先から連絡があったぞ、すぐに折り返せ」
「……はぁ。いや、待ってください。二人でお約束が?」
「ああそうだ。何か問題があるか?」
「……いえ……では」
問題大ありといった顔をしたまま、尾形は私たちを一瞥してその場を立ち去った。うーん、後で色々問いただされそうだ。
去っていった尾形から視線を月島係長に戻すと、彼は先ほどまでの厳格な顔とは打って変わって、少し気まずそうな顔をして目を逸らした。
「……急に悪かったな」
「えっ、いえいえ!」
「尾形に取引先からの電話があって、急ぎのようだったから呼びに来たんだ。そしたら、尾形がミョウジを誘っているのが聞こえてつい」
「つい、ですか」
思わず復唱するように口を開いてしまう。もしかして、ヤキモチを焼いてくれたんだろうか。きょとんとした私に対して、彼は綺麗に整えられた坊主頭をざりざりと掻いて、こちらへと向き直った。
「ミョウジは、週末何か予定があるのか?」
「……いえ、さっきのは断るための口実みたいなもので……実際は空いてます。暇してます!」
「そうか」
ほっとしたような顔を浮かべた月島係長を見て、私の心と体に走っていた緊張感が少しずつ和らいでいく。
「じゃあ、さっき尾形に言ったことは嘘にはならないな?」
「え?」
「俺と、約束をしてくれると思っていいか?」
「は、はい! もちろんです」
身を乗り出して返事をすると、手に持っていたタンブラーを落としそうになった。たっぷりと注いだ紅茶がその中でゆらゆらと揺れるのを手のひらで感じる。
「よかった。正直言って、ホワイトデーのお返しを何にしようか悩んでいたんだ。ミョウジが好むものを、一緒に買いに行かないか」
「そんな、お返しなんて気にしないでください」
「そういうわけにはいかんだろう」
「月島係長と、その……デートできるだけで、私十分嬉しいです」
「……急に可愛いことを言うな」
月島係長は大きな手で顔を少し隠しながらぽつりと言った。照れている、のだろうか。その姿が可愛く感じて、思わず私は破顔してしまう。
「ふふ、週末が楽しみです。残りの仕事も頑張ります!」
「ああ。俺も休日出勤にならんよう、頑張るよ」
ふ、と柔らかく彼は笑う。つられて私も笑ったけれど、その笑顔はすぐにいつものキリッとした仕事モードの表情へと切り替わった。
「さ、そうとなれば仕事をしっかり片付けるぞ。集中集中」
「は、はい! すぐにデスクに戻ります!」
ピシッと背筋を正し、パタパタと早足で部署に戻りながら、顔だけが緩んだままなかなか戻らなかった。ピシャリと一度軽く頬を叩いて気を引き締めて、自分自身の席へと戻る。
隣の席の尾形はすでに取引先への折り返し連絡を終えたようで、戻ってきた私の方を頬杖をつきながらジィッと眺めていた。
「なに?」
「さっきのあれ……お前ら、もしかして」
「! しー、しーっ!」
「……ははぁ、なるほどな。どうでもいいけど、社内であまりいちゃつくなよ」
「しないわよ、そんな事!」
思わず肩を小突こうとすると、尾形はそれをかわしながら荷物をまとめパソコンの電源を落とした。どうやらこれから取引先のところへ向かいそのまま直帰するらしい。
「お返し選び、付き合えなくてごめんね」
「別にいい。あぁ、俺は週末××百貨店に選びに行く予定だから、お前ら出かけるなら別のところにしろよ」
「えっ?」
「休日に職場のカップルに出くわすなんざごめんだからな」
「っ、もう、早く行きなよ!」
体には当たらなかったけれど、小さく打ち出したパンチが尾形の鞄にかする。そんな私を横目に、尾形はひらひらと手を振りながら立ち去っていった。全くもう、本当に一言多い奴なんだから。
くるりと椅子を回転させ今度こそ仕事をするぞとパソコンと向き合うと、書類が目の前に差し出された。数時間前に月島係長に提出した資料データだ。
「ミョウジ、この資料なんだが、もう一年分過去のものも出してくれるか」
「あ、はい! わかりました!」
「急ぎではないが、よろしく頼む。以前資料データを取った時に計算式がおかしくなっていた事があったから気をつけて見ていてくれ」
仕事モードの彼にそう言われて書類を受け取ると、付箋が貼ってあるのが目に入った。
“週末、どこに行きたいか考えておいてくれ。あと、あまり尾形と戯れるな。“
少し癖のある角張った字を目で追って、パッと顔を上げる。そこには仕事モードはどこへやら、ほんの少しだけ眉を顰めながら笑った彼の姿があった。
周囲に誰もいなくてよかった。きっと今私は気持ちの悪い顔をしてにやけているだろう。
「わかりました。気を付けます」
先ほどの指示に返事をするような口ぶりで私は答えたが、その声は浮かれてしまっていたように思う。
「ああ、頑張れよ」
そう言って彼は、そっと何かを置いて席へと戻っていった。机の上に置かれたのは、五つ並べられたキャンディーだった。たまに糖分を補給してまた集中しろと月島係長が仕事を頼む時に渡してくれるものだ。普段は三つだけど、少しだけ数が多い、それだけで私の顔はニヤけてしまうのだから重症なのかもしれない。
書類に貼られた付箋を剥がして、手帳のメモ欄に貼り付け直す。その文字をそっとなぞった後、私はもらったキャンディーを一つ頬張ってから、資料作成に取りかかった。初めてとも言える月島係長とのデートは、この飴玉みたいに甘いものになればいいな、なんて考えながら。