嵐の後の静けさか、それとも

 カーテンから漏れる朝日を浴びて目を覚ます。今日も一日が始まるぞ、と大きなあくびをしながら体を起こす。昨日の嵐のような来店客が、夢の中にも出てきて不思議な気持ちだった。聞き取れない早口で何かを捲し立てるコイトさんと、それを慌てて止めようとするツキシマさん。ぼんやりとしか覚えていない夢だったが、それでもそんな二人の様子がおかしくてふふっと笑いながら一日をスタートさせた。
 
 それにしても、と日中仕事をしながらも昨日の出来事が頭を過る。初対面のはずのコイトさんに名前を聞かれ、何かを伝えられ(結局一晩考えたけれど、彼の早口は何が言いたかったのかはよくわからなかった)何度となく考えるけれど、頭を捻るばかりだ。
 でも、やっと彼の名前を知れた。たったそれだけで嬉しくて、気を抜くと頬が緩んでしまいそうだ。生憎今日は弁当屋の手伝いの日ではないが、早くあのカウンターに立って、彼の来店を今か今かと待ちたい気分だった。
 落ち着かない様子の私を見かねた主任が、資料を綴じたファイルで私の頭を小突く。「何があったかは知らんが、仕事には集中するように」と揶揄うような口調で注意され、傍目からもわかるほどに浮かれている自分に顔が熱くなった。
 
 翌日、きっちり十七時までに仕事を片付けた私は、足早に弁当屋に向かった。私が早く店に立ったところで、彼が来る時間が早くなる事はないのだが、気がつくと早足になっていた。
 十八時までのパートさんとレジ金に過不足がないかを確認し、交代をする。「子どもの習い事の送迎があって」とバタバタ帰り支度をする彼女に、頑張れお母さん、とささやかながらエールを送りつつ見送ると、入れ違うように見覚えのある男性が店に入ってきた。
 
「あっ」
「おお、覚えてくれていたか」
「えぇ、まあ……今日はお一人ですか?」
 ツキシマさんは一緒ではないのかと入口へ視線を送る。そんな私を見てコイトさんは口角を上げ口を開く。
「月島はまだ仕事だろう。まあ、もうすぐ来るんじゃないか?」
「はぁ、てっきりご一緒なのかと」
「それより、この唐揚げ弁当を一つもらえるか」
「あ、はい。おばさーん、唐揚げ一つ入りまーす! ご飯、大盛り無料ですがいかがなさいますか」
「普通で……いや、やっぱり大盛りで頼む」
「はい。おじさん、ご飯大盛りです!」
 注文を通す為に厨房の方へ振り向くと、今日も腰の調子がいいらしいおじさんが任せろと言わんばかりに大きく返事をした。会計を先に済ませ、少々お待ちくださいとご案内する。
「あちらに椅子がございますので、どうぞ掛けてお待ちください」
「どうも」
 どうも、と言う割にコイトさんはそこから動かずまじまじと私の方を見る。この間から何なのだろうこの人は。
「あの、何か……」
 何も言わずじっと見られる事に耐えられず口を開く。
 この間は呆気に取られて気付かなかったが、よく見ると彼はツキシマさんとは少なくとも十は歳が離れているようだった。恐らく、私よりも若いだろう。それなのにツキシマさんは敬語を使っていたような気がする。不思議な関係だ。しかし、改めて見ると本当に顔の整った人だなぁと思う。身近にはいないタイプの、所謂イケメンに見つめられているという事実に気付き、急に恥ずかしさを感じた。
「何か、私に御用でしょうか?」
「ああ、失礼。月島からこの弁当屋の事をよく聞いていたものでな。私も食べてみたくなったのだ」
「はぁ……」
 私を観察するように見ているその視線と質問への答えがどことなくちぐはぐに感じて、より困惑する。早く弁当が出来てくれないかと厨房を確認する。大きめのサイズで揚げられた唐揚げは、二度揚げの為に再び油の海に飛び込むところだった。
「ところで、今日はおまけはあるのか?」
「えっ? あ、いえ……あの、基本的にはおまけとかは……ありませんので……」
 初めてツキシマさんがお店に来た時の事を思い出す。なるほど、その話を聞いていたのか。何となく、おじさんやおばさんに聞かれないよう声を小さくする。
「ははは、わかっている。ちょっと言ってみただけだ。月島にだけ特別というやつだな!」
「いや、その、そう言うわけでは……」
 いやそう言うわけではないわけでもないのだが、そんなに大きな声で言わないでもらいたい。唐揚げ一個分で目くじらを立てるような人達ではないが、ある人にだけ特別におまけをしただなんて知られたら違う意味で面倒臭い事になりそうだ。
「ふん、まあいい。ところで、ミョウジ……と言ったか、恋人はいるのか」
「はいっ?」
「なんだ、もしかしているのか?」
「いや、あの、えっ?」
「なんだいお兄ちゃん、ナマエちゃん狙いかい? この子、もうずっと恋人はいないはずだよ」
 急に後ろから声がして、吃驚して振り返ると唐揚げ弁当を手におばさんがカラカラと笑っていた。
「まったく、話に夢中なのはいいけど唐揚げ冷めない内に渡しておくれよ」
「ごめんなさい。いやでもおばさん、勝手に……!」
「なんだい、本当の事だろう? それにイケメンじゃないかい」
 コソコソと耳打ちしてくるおばさんにカッと顔が熱くなる。でも、多分この人はそういうつもりで聞いてきているのではない気がする。なんとなくだけど。
「ふむ、とにかく恋人はいないわけだな?」
「いやその……まあ、はい……」
 私とおばさんのやり取りを聞いていたコイトさんは、再度念を押すように確認すると、眩しいほどの笑顔になった。
「ふむ、なるほどなるほど! 今日はそれだけでも聞ければよい!」
「は……? あ、唐揚げ弁当、大変お待たせいたしました」
「ああ。では、またな。月島をよろしくな!」
 そう言って颯爽とコイトさんは店を出ていく。先日同様、嵐のような人だった。
 
 それにしても、結局何だったと言うのだろう。やけにツキシマさんの事をよろしくと言いながら、私の恋人の有無を確認をする。そんな彼の言動に、ふと一つの可能性を思い浮かべる。しかし、思い浮かべた直後に、いやこれはただの自惚れで、こうあればいいという自分の期待なだけだと首を振る。もしかして、ツキシマさんも私の事を、なんて。
 ああ、あんなに早く彼が来て欲しいと思っていたのに、今は何だか顔を合わせるのが少し怖い。きっと色々期待して勘ぐって、いつも通りではいられないだろうから。だけどやっぱり、顔を見たくて時計を確認し彼を待つ。きっと、もうそろそろ。
 
 ——だけど、結局その日、ツキシマさんが店を訪れる事はなかった。