噛み合わない歯車

 思えば今日は、朝から今ひとつタイミングの合わない日だったように思う。
 朝出勤をする時には全ての信号に引っかかりいつもより少しだけ時間をロスした。仕事中も用件のある相手とは社内外を問わずなかなか連絡が取れず、やっと折り返しがあったかと思えば今度は私が別の対応中や離席中。そんなこんなで昼休憩もずれてしまった。バタバタと食事をとって仕事に戻ろうとする私に、見かねた上司がコーヒーを奢ってくれ、そのまま少し会話をした。
「こんな日もあるもんだな。お疲れさん」
「はは、ありがとうございます」
「そういや、まだ続いてるのか例の副業は」
「ああ、はい一応。今はちょっと事情あってお店が少しの間だけ休業中なんですけどね」
「そうかそうか。じゃあ、今日も店は休みか?」
「……はぁ、まあ、そうですね……」
 嫌な予感がした時には既に遅かった。にっこりと笑う上司に急ぎの資料が必要だからよろしく頼むと言われ、残業を覚悟する。コーヒーなんて珍しいと思ったがこういう事だったのかと後悔した。元々残業の少ない職場ではあるが、たまに残業が発生する際も弁当屋の手伝いに行く日は残業を免除されていたのだ。たまには致し方あるまい。上司が去ったのを確認してスマホを取り出し、月島さんにメッセージを送る。
『ごめんなさい、今日は残業になりそうです』
 すぐに既読がつき、返事を待つ間にコーヒーを飲み干す。流石に今日は月島さんに会えないかなと思っていると、スマホが震える。
『そうなんですね。お疲れ様です。自分も少し長引くかもしれないので、よければお互い仕事終わりに連絡し合いませんか?』
『わかりました。また連絡しますね』
 メッセージに顔が綻ぶ。少しでも早く仕事を終わらせようと気合を入れ直してデスクへと戻った。
 
 慌ただしかった午前とは打って変わって、午後はスムーズに仕事が進んだ。急ぎでと頼まれた資料作成も思ったよりも早く終わり、一時間弱の残業で済んだ。月島さんはどうだろうと思いメッセージを送ると、『自分もあと少しで終わるところでした。いつものところで待っていてもらえますか』と返事がくる。メイクを整え直して、急いで会社を後にした。
 
 コンビニに着くと数分後に月島さんが現れ、昨日約束していた洋食屋へと向かった。
「お仕事、落ち着いたと言っていたのに早速残業で大変でしたね」
「ああ……いや、まあよくある事なので」
「いつも結構遅い時間でしたもんねえ、お店に来るの」
「まあ、そうですね。もうしばらくはあそこまで遅い事はないと思います。というか思いたいですね」
「ふふ、そうですね」
 お互いの仕事の話を少ししている間に洋食屋へと辿り着く。扉を開けるとカランカランと軽快な音が響いた。新しいはずなのにどこか懐かしくなるような、昔ながらの空気感をまとう洋食屋さんだった。
「初めて入ったけど素敵ですね」
「そうですね」
 いつもの賑やかなお店とは違い、静かなクラシック音楽の流れるゆったりとした空気の店内になんだか月島さんが似つかわしくない気がして少し笑ってしまう。
「ふふ」
「?」
「ごめんなさい、いつもたくさん食べてる月島さんとここのお店が、なんだかアンマッチで」
「おや、言いますね」
「あ、失礼でしたね。すみません」
「はは、冗談ですよ。自分でもそう思っているので大丈夫です」
「こういうお店もお好きなんですか?」
「自分ではあまり。付き合わされて行くことはよくありますけどね。それに女性はこういうお店の方が好きかと思いまして」
 月島さんの言葉に胸がちくりと痛む。私だけでなく、よく食事に行くような女性がいるのだろうか。それとも過去の彼女の話なのだろうか。これまであまり異性関係の話をした事がなかったため、思いがけない言葉に動揺し、咄嗟に話題を逸らす。
「メニュー、どうしましょうか。色々あって悩んじゃいますね」
 いつも通りに笑えた自信はないが、どうか気付かれませんように。
 
 メニュー表と睨めっこをし、月島さんはエビフライとハンバーグのセット、私はカニクリームコロッケを注文した。牛タンのシチューも美味しそう、と悩んでいたらそれも頼んでシェアしましょうと言われそうする事にする。ドリンクメニューも渡したが、今日はお酒はやめておきますと言われたので私もなんとなくやめておいた。
 店員さんにオーダーを伝え終わると、見計らったように月島さんのスマホが鳴る。ちらりと画面を確認し一度は無視しようとしていたが、気にせずどうぞと促すと月島さんは申し訳なさそうにスマホを手に取り店の外へ出て行った。
 しばらく待つがなかなか月島さんは戻ってこなかった。仕事の話だろうか。だけど、一度無視しようとしていたところを見ると違う気もする。もしかして他の女の人だったりして……先程の発言のせいで、うっかりそんな事を考えてしまう。店員さんが料理を運んでくる頃、やっと月島さんは戻ってきた。
「長々とすみません」
「いえいえ、お仕事ですか?」
「いえ……鯉登さんからでした。明日食事に付き合えとの誘いです」
「そうなんですか」
 出てきたのが鯉登さんの名前で、なんとなくホッとする。本当に仲良しなんですね、とくすくす笑いながら運ばれてきた料理が冷めないうちにと手を合わせた。
 
 静かな店内のせいか、いつもよりもその日は会話が弾まなかった。と言うより、月島さんが何かを言いかけてはやめ食事を口に運ぶ、というのが続いたのだ。何とも不思議な気持ちのまま私も食べ進めた。
 食事が終わり食後のコーヒーを頼むと、今度は私のスマホが鳴った。すみません、と席を立ち電話に出る。声の主は元気そうなおばさんだった。
「ああナマエちゃん? 遅くにごめんね、今大丈夫かい?」
「少しなら。どうしたの?」
「いやぁ親戚から野菜が届いたんだけどね、店閉めてるから使い切れそうになくて。よかったらナマエちゃん持って帰らないかと思って」
 おばさんの親戚は農業をやっているらしく、定期的に大量の野菜が送られてくる。弁当屋の副菜が豊富なのはその関係もあり、私もよくお裾分けのお裾分けをもらって帰っていたのだ。
「今日はちょっと無理だけど、明日なら行けるかな」
「そうかい。ちょっと話したい事もあるから、よかったら明日うちに寄ってくれるかい」
「うん、わかった。また明日連絡するね」
 話したい事ってなんだろう。気になったけれど、月島さんを待たせているので深くは追求せずに電話を切り店内へと戻る。既に運ばれていたコーヒーに口も付けず月島さんが待っていてくれて、申し訳なくなる。
「すみません。弁当屋のおばさんからでした」
「ああ。大丈夫ですか?」
「声の感じはすっかり元気でした。明日、様子を見に行こうかと思います」
「そうですか」
 ゆっくりとコーヒーに口を付け二口三口飲んだ後、カップを置いて月島さんはポツリと言った。
「明日はお互い予定が入りましたね」
「え? えぇ、そうですね」
「三日間、連日ありがとうございました」
「ふふ、こちらこそ」
「……また今度、お誘いしてもいいですか」
「ええもちろん! 次はどこのお店にするか考えておきますね」
「いえその、食事だけでなく……」
 月島さんが何か言いかけたところで、店員さんが声を掛けてきた。もうすぐラストオーダーの時間らしい。もうそんな時間かと思ったが、いつもより合流するのが遅かった事を思い出した。今日は私が出す約束ですから、と会計を済ませ店の外へ出る。
「ご馳走様でした」
「ふふ、美味しかったですね。また来たいです」
「そうですね」
「ところで、さっき何か言いかけませんでした?」
「ああ……いえ、なんでもありません」
 物言いたげな顔をしながらも言い淀んで月島さんは歩き出す。コンビニに着いてもそれは同じで、何かありましたかと聞こうとすると同時に、また連絡しますと月島さんは去っていった。
 ああ、やっぱり今日はタイミングの合わない日なのだな。そんな事を思いつつ、次の約束も出来ないままに月島さんと別れ家路に着いた。昨夜とは打って変わってモヤモヤした気持ちを抱えながら、私は眠りについたのだった。