お互いの気持ち

 待ちに待った日曜日。少し前に買ったはいいもののなかなか着る機会のなかったワンピースに身を包んで、いつものコンビニで月島さんを待つ。もう一度時間を確認しようと月島さんからのメッセージを開き、そこに書かれている文章にまた破顔してしまう。
『日曜日が待ち遠しいです。早く会いたいですね』
 金曜日の夜、恐らく飲み会の前に待ち合わせについての連絡が届き、その返信をしてから数時間後にこの言葉が届いた。お酒が入っていて彼は覚えていないかもしれないが、画面を見つめ数秒固まってしまうほどの破壊力がその文章にはあった。少なくとも、私には。
 
 にやけた顔を必死で抑えながらもう一度鏡で自分の姿を確認していると、一台の車がコンビニの駐車場に停まった。中からTシャツにスラックス、そしてジャケットを羽織った月島さんが降りてきて私の姿を見つけると手招きをした。スーツ姿でない月島さんを見るのはそういえば初めてだなと思い、また緩む頬を堪えながら私は月島さんの元へと歩いて行った。
「すみません、お待たせしました」
「いえいえ、時間ぴったりですよ。お車お持ちだったんですね」
「ええ。通勤は徒歩だからほとんど乗らないんですけどね。どうぞ乗って下さい」
「はい、失礼します」
 わざわざ助手席のドアを開いてくれる月島さんにソワソワしながら車に乗り込みシートベルトを閉める。では行きますかと言いながら運転席に座った月島さんを新鮮に感じながら頷いた。
 
 三十分ほど車を走らせて水族館に到着する。車の中でイルカのショーは何時からでエサやり体験もあるそうで……と色々と調べてきてくれたらしい月島さんが教えてくれた。出入り口で館内マップを手に取り、先程の月島さんの話を参考にルートを決めて歩いて行く。数年ぶりに来る水族館に胸を弾ませた。月島さんは、そんな私を静かに微笑みながら眺めていた。
「私、水族館久しぶりなんですけど月島さんはそうでもないですか?」
「確か一年ぶりですね。去年何かのイベントがあるとかで付き合わされました」
「……もしかしてですけど」
「もちろん、鯉登さんです」
「ちょっと仲良すぎやしませんか?」
 月島さんと鯉登さんが二人で水族館にいる光景を想像して少し笑ってしまう。この間の感じだと、私と同じかそれ以上にはしゃぐ鯉登さんを保護者のように見守る月島さんの姿が目に浮かぶようだった。
「女性と来たのは、これが初めてですよ」
「そ、うですか」
「さ、早く行きましょう。あと少しでエサやり体験の時間ですよ」
 くすくすと笑い続ける私にさらりとそう言ったかと思えば、ほんの少し耳を赤くした月島さんが順路の方へと歩き出した。つられて赤くなるのを感じながらその背中を追った。
 
 ペンギンたちへのエサやり体験、イルカとアシカのショー、大水槽で飼育員たちのエサやりショーなど目玉の催しを満喫しながらゆっくりと館内の生き物たちを見て回った。いつもの賑やかなお店の中で月島さんと会話をするのも楽しいが、ゆったりとした空間で他愛もない会話をしながらのんびりと歩くのもまた違った楽しさがあった。
「久しぶりの水族館はどうですか」
「とっても楽しいですよ」
「何か気に入った魚は?」
「そうですねぇ、フグが結構好きでした」
「ああ、なるほど……確かにじっと見てましたね」
「フグ、かわいいですから」
「フグ、美味しいですよね」
 声は重なるが、全く別の感想をそれぞれ述べていて思わず笑ってしまう。
「可愛い、ですか?」
「かわいくないですか? ぷくーっと膨れた顔がかわいくて好きなんです」
「なるほど……?」
「でも、フグは美味しいのも同意ですよ」
 くすくすと笑うと月島さんは恥ずかしそうに目を逸らした。もしかして他の魚達も美味しそうと思いながら眺めていたんだろうか。月島さんらしくてなんだか可愛らしく思う。
「そろそろお腹が空いてきましたね。ご飯どうしましょうか」
「近くに美味しい店があるんでそこへ行きませんか。ちなみに、海鮮かイタリアンならどちらがいいですか」
「じゃあ、海鮮にしましょう。美味しそうなお魚見た後ですから」
 そう言うと月島さんはまた恥ずかしそうに頭を掻いていた。やっぱりそんな風に月島さんには見えていたらしい。
 水族館を出る前にお土産コーナーに立ち寄った。ぬいぐるみやキーホルダーなどが並ぶ中で、せっかくだから今日の記念に何か買おうと物色する。どうせなら職場でも使えそうな物をと思い、社内メモに使えそうな付箋を手に取った。あとは、おばさん達にも持って行ってあげようと水族館の名前が入ったクッキーを選びレジへと並んだ。レジを済ませている間、月島さんはキーホルダーのコーナーを眺めていた。鯉登さんがお気に入りのキャラクターがいると言っていたので、もしかしたら鯉登さんへのお土産かもしれない。ここまで仲が良すぎるとちょっと妬けてしまう。
 お互いに会計を済ませて、水族館を出て昼食を取るため月島さんおすすめのお店に入る。一番人気らしい海鮮丼を頼み、先程水族館で撮った写真を見直した。
「イルカのショー楽しかったですね。写真全然撮れませんでした」
「自分もそう言うのはあまり上手くないので」
「ふふ、すごくブレてましたね。難しいですよねえ動いてる物を撮るのって」
「あ、でもこれなんかは上手く撮れたと思います」
 そう言って見せてくれたのは、ペンギンへのエサやり体験をしている私の姿だった。
「え、撮ってたんですか?」
「あ、すみません勝手に。嫌でしたら消しますんで」
「嫌じゃないですよ、びっくりしましたけど。でも、確かにすごくいい感じに撮れてますね」
 私ってこんな顔してたんだなあとふいに恥ずかしくなる。あんまりにも楽しそうだったから…普段はなかなか撮らないですけどね、と月島さんが言うので、余計に顔が熱くなった。
「月島さんって、不意打ちでそういう事言いますよね」
「そういう事とは?」
「もしかして無自覚ですか? それとも私が自意識過剰なんでしょうか」
 一瞬きょとんとしたところを見るに、もしかしたら無自覚なのかもしれない。だけど、その後私の言いたい事に気付いたようで、誰にでも言うわけではないですからねとポツリと呟いた。熱を落ち着かせようと水を口に運んだところで海鮮丼が運ばれてきて話題を変える。
「わあ! すごく豪華ですね」
「もちろん味も美味しいですよ。どうぞどうぞ」
 マグロにサーモン、イカ・タコ・ホタテ・甘エビ、そしてウニとイクラとが丼からはみ出んばかりに乗った海鮮丼に目を輝かせてしまう。どれから食べようかと悩む私に、さっきの魚達と違って逃げないですよと今度は月島さんがくすくす笑った。
 
 先程撮った写真をお互いに見せ合いながら、色とりどりの海鮮丼を堪能した。結構なボリュームがあったので、少しお腹が苦しくなる。月島さんは案の定ぺろりと平らげていたが。
「今日は天気もいいですし、腹ごなしに少し散歩しませんか。足とか痛くないですか?」
「大丈夫です。ぜひ」
 まだ帰りたくない私は、すぐに提案に乗った。一度車に乗り、少しだけ走らせてから駐車場のある大きな公園へと降り立った。海の近くに位置するその公園は、潮風が吹き抜けて心地よかった。
「そういえば、弁当屋の方の怪我はどうでしたか。この間行かれたんですよね」
「ああ……はい。怪我は順調によくなっていってるみたいです。元気そうに歩いてました。ただ……」
「ただ?」
「お店の再開はもう少し先になりそうなのと、私はもう手伝いに行かなくなるかもしれません」
「そうなんですか?」
「どうも、営業時間を今より短くするみたいで」
 先日おばさんの家に改めて訪問した時に色々と話をされた。昔からやっていた店だけど、おじさんもおばさんも正直年齢的に遅い時間まで営業をするのは負担になっていた事。その為、営業時間を少し短縮していく事と、ちょうど高校生になるお孫さんがアルバイトを探していたので、今より営業時間が短くなるなら手伝わせてと申し出てくれた事などを教えてくれた。今いる大学生バイトの子と二人で夜のシフトは回せそうになるという事らしい。
「びっくりしました、自分が大学生の頃にお孫さんに会った事あるんですが、その時ランドセル買ってもらった~なんて言ってたんですよ。それがもう高校生で、歳取ったなって思いました」
「ははは、まだまだお若いですよ」
「ふふ。まあ、そんなこんなで、私の手伝いの出番はなくなりそうです」
「よかったと言うべきなんでしょうか?」
「うーん、正直自分でもわかりません。確かにちょっと二足の草鞋はしんどかったような気もするし、でもなんだか寂しい気もするし」
「またお客さんとして行けばいいですよ」
「そうなんですけどね。でも、営業時間短くなると月島さんもお弁当買う場所なくなって困るんじゃないですか」
「まあ、それは確かに」
「あ、でも月島さん本来自炊派なんでしたっけ」
 先日の鯉登さんの発言を思い出して口に出す。月島さんは動揺したようで少し咳き込んでいた。
「だ、大丈夫ですか」
「どうしてそれを」
「この間、鯉登さんから」
「あの人はすぐそういう事を……」
「……あれって、私に会いに来てくださっていたと自惚れてもいいんでしょうか」
 この間からずっと気になっていた事を勇気を出して問う。思わずグッと自分の手の平を強く握っていた。
 隣を歩いていた月島さんが立ち止まり、私も立ち止まって月島さんの方へ振り返る。
「ミョウジさん」
「……はい」
「自分の気持ちは、恐らく薄々気付かれているとは思うのですが」
「……」
「ミョウジさんの事が好きです」
 真っ直ぐに、月島さんは私の目を見て言った。
「最初は、本当に弁当が美味くて店に通い出しました。だけど、気が付いたらミョウジさんの笑顔に会いたくて通うようになっていました。あなたの事はまだ学生でうんと歳下だと思っていたので、ただ笑顔に癒されに行こうと思っていました。だけど、鯉登さんと親しくしている姿を見て年甲斐もなく嫉妬して、ああ自分はミョウジさんが好きなのだなと気付きました」
「……はい」
「この一週間、毎日のように食事に行ったり連絡を取ったり、とても楽しかったですしよりミョウジさんの存在が自分の中で大きくなりました。だから、その、今後もまたこうやって出掛けたりしたいと言うか……」
「……私も」
「!」
「私も、月島さんの事が好きです。これからも、弁当屋じゃなくても月島さんとお会いしたいです。付き合って下さい!」
 ぎゅっと目を瞑ってそう言うと、月島さんが長い溜め息をつくのが聞こえた。恐る恐る目を開けると、力が抜けたように笑う月島さんの顔がそこにあった。
「俺が言おうと思ったのに」
「へっ、あ! すみません!」
「はは、謝る事ではないです。はっきりと言わなかった俺が悪いんで。……あー」
 ガシガシと頭を掻きながら月島さんは一度俯き、また顔を上げて私を真っ直ぐ見据える。
「こんな自分ですが、付き合ってくれますか」
「はい! よろしくお願いします!」
 勢いよくお辞儀をする私に、月島さんはもう弁当屋の客と店員じゃなんだからとまた笑った。
 
 どちらからともなく手を繋ぎ、公園を散歩した。思いの外公園内は広く、ゆっくりと一巡する頃には月島さんは小腹が空いてきたようだった。あんなに豪華な海鮮丼を食べたと言うのに、本当によく食べる人なんだなとくすくす笑う。夕飯はどこへ行きましょうかと話しながら歩いていると、どこからか食欲をそそる唐揚げのような匂いがした。
「……唐揚げ、食べたくなっちゃいましたね」
「ですね」
「ふふ、美味しい唐揚げのお店知ってますよ。おばさんの唐揚げにはちょっと劣りますが」
「じゃあ、夕飯はそこにしましょう」
「はい」
「……初めて会った時も唐揚げでしたね」
「え?」
「一つおまけしてくれましたよね」
「あはは、そうでしたね。あの時おまけしてよかった」
「おまけがなくても、きっと俺は通っていましたけどね」
「ふふ、そうだといいんですけど」
 繋いだ手をぎゅっと握りながら、初めて出会った日の事を思い出す。始まりはほんのお気持ちからだった。それがいつの間にかどんどん惹かれていって大きな気持ちになって、そしてやっと恋人になれた。弁当屋の手伝いを辛く思う日もあったけど、続けてきてよかったなと心から思う。
 
 今度、またおばさんに会いに行こう。恋人が出来た報告と、恋人に今後振る舞う唐揚げのレシピを聞くために。お腹いっぱいに食べる彼の顔を見るために。
 じっと見つめる私の視線に気づいて照れ臭そうに笑った月島さんを見ながら、私はそんな事を考えるのだった。