ドライヤーを買いましょう

「月島課長、最近なんかご機嫌ですよね」
 残業中、軽食を取っていると部下にそう言われドキリとする。心当たりがないわけではない。数年ぶりに出来た恋人の存在に、どこか浮き足立っている自覚はあった。あまり漏らさないようには心掛けていたと思うが。
「そうか? 何も変わらんだろう」
「うーん、なんか空気感? これだけ残業してても、あまりピリついてないというか」
「そんなことはない。さっさと仕事終わらせて帰りたいぞ俺は。ほら変な事言ってないで、早く続きするぞ。集中集中!」
「うへぇ〜やっぱりいつも通りの鬼課長だ」
 コンビニで買ったおにぎりの袋をクシャリと潰してゴミ箱へ放り、最後に栄養ドリンクを一気に胃へと流し込む。先日まで疲れのせいかあまり固形物を受け付けなかった胃は、昨夜ミョウジさんと久しぶりに会った事が影響しているのかかなり回復した。米を美味いと感じられる体に安心する。
 残業に残業を重ねる激務が続いてきたがようやく終わりが見えてきた。今週末こそは何が何でもミョウジさんとゆっくりと過ごしてやると思いながら再びパソコンへと向かうと、先ほどまで軽口を叩いていた部下がヘアピンで前髪を留めるのが目に入った。
「なんだお前、それ」
「あぁ〜いやもう最近休みも死んだように寝ちゃってて髪も切りに行けてないんですよ。セットしてなんとか誤魔化してるんすけど、さっき眠気覚ましに顔洗ったら髪落ちてきちゃって。邪魔なんでこれで上げてます」
「そうか……まあ夜で誰もいないしな。週末には髪切りに行けるといいな」
 自分は普段バリカンを使って自宅で髪を整えているが、それなりの髪の長さの奴らは定期的に床屋に行かないといけないのだろう。俺も週末を迎える前にもう一度整えておこうと自身の髪を撫でると、部下がそんな俺を見て口を尖らせる。
「あー俺も坊主にしようかなぁ。ドライヤーとかも使わなくていいし絶対楽っすよね」
 まあ俺坊主絶対似合わないんでしないですけど、と呟きながら仕事に戻る後輩を横目に、ふとある事に気付いてしまった。
 ドライヤーなぞ、我が家にはないな。
 いつもタオルで拭き上げるだけで十分な自分は家にドライヤーなぞ置いてなく。恋人もここ数年いないしたまに鯉登さんが遊びには来ても泊まるような事はないため、今まで気にした事もなかった。
 だが今では訳が違う。何といっても、週末にはミョウジさんが我が家に来る事になっているのだ。彼女の姿を頭に思い浮かべ、いつも艶のある彼女の髪に想いを馳せる。
「悪い、すぐ戻る」
 そう言って部下に一言断ってから席を立ち、すぐさまスマホで鯉登さんに連絡を取る。
『おすすめのドライヤーを教えて下さい。出来れば、すぐ購入出来そうな店も』
 こんな時に思い浮かぶのが鯉登さんなのも癪だが、美容に対しても関心の高い彼なら間違いはないと思ったのだ。すぐさま既読がつき、数分と掛からずに返信が届く。
『このドライヤーならそこまで高すぎず髪へのダメージも少ない。ネットですぐ買えて早ければ明日にも届くんじゃないか』
 わざわざご丁寧にURL付で届くアドバイスに素直に従い、その場で購入処理をする。鯉登さんの言う通りどうやら明日の夜には届くらしい。密林にいる人間も、俺らと同じく残業続きの激務でない事を若干気にかけつつもその迅速な対応に感謝しかない。
 他にも彼女が来るに当たって何か必要なものはなかっただろうかと考えながら、俺は席に戻り仕事を片付けるのであった。