私だって、

 先程までストローが入っていた細長い紙の袋を小さく小さく折り畳んでバネのようにして指先で弄ぶ。目の前にいる男は本日何度目かわからないため息を吐き出した。
「それでさぁ、尾形はどうしたい訳」
「別に、どうも」
「あっそ。つまり、聞いて欲しかっただけって事でいいの?」
「まあ、そうだな」
 目も合わせず目の前の男、尾形百之助はそう言ってアイスコーヒーに口をつける。こんな不毛なやり取りも、もう何度目なのだろうか。
 
 尾形と私は同級生である。高校が同じでお互いバレー部で、偶然大学も一緒といういわば腐れ縁のような存在だ。男女で分かれてはいたが、互いの試合はよく見ていたし、たまたまオープンキャンパスで同じ大学志望という事がわかってからは受験時期に一緒に勉強なんかもした。男女共に友達の多い私と違って、女の子に人気がある割にあまり女子とつるまない尾形。周りからは色々と言われる事もあったが気にしなかった。無口で取っ付きにくい印象のある尾形だが、話し掛ければなんて事ない年頃の男子と一緒なのだから、ごちゃごちゃ言う前に話し掛けてみればいいのにとさえ思っていた。今にして思えば、私はどこかやっかんでくる彼女達に優越感を感じていたのかもしれない。
 だがそれも、あの人が現れるまでの話である。
 
 あの人――尾形の彼女は、年上の女だった。道で変な男に絡まれていた彼女を助けたのがきっかけで知り合い、そのまま気が付けば仲良くなり付き合いが始まったと聞いている。なんともドラマチックなものだ。ただの同級生から始まる恋愛ドラマなんかより、ずっと興味を引きそうなものである。
 忘れもしない、成人式後の同窓会。帰り道に一緒になった尾形に、私は声を掛けた。
「誕生日まだだから飲まなかったんだって? 真面目か。しょうがないから尾形の誕生日にお祝いでお酒を奢ってあげよう!」
 以前にも数名の同級生たちでそれぞれの誕生日を祝う為に集まったことがあった。飲みごとの好きな連中だ、尾形の誕生日だと言えば集まるだろう。それに二人でだとしても尾形の誕生日なら祝いたいと思っていた。だけど、
「誕生日は予定があるから」
「えっ、あーそうなんだ。友達?」
「いや、彼女」
「……彼女、いたっけ」
「最近な」
 酒を飲んでいないはずの尾形の頬がほんのりと赤らんでいて、少しばかり酔っていた頭が一瞬で冷めていったのを覚えている。
 
 だが結局、その年の尾形の誕生日は私と二人で祝う事になった。誕生日おめでとうのメッセージに「酒、奢ってくれよ」と返事が来た為である。どうやら彼女にどうしても外せない仕事が入ったらしい。仕方ないなぁと言いながらほんの少し嬉しかったのは、多分一生尾形には言えないだろう。
 それからも私と尾形の関係は特別変わる事はなかった。他よりも少しだけ仲の良い友達。たまに時間が合えば、お茶をする仲。こういうの、彼女は嫌がる人じゃないの? と一度だけ聞いた事がある。「あいつも、男と二人で飲み行ったり飯行ったりしてるから」そう苦虫を噛み潰したような顔をした尾形は、なかなか見られたものじゃないと思う。
 
 会えばよく、彼女の話を聞いていた。私から聞く事もあれば、尾形から話し始める事もあった。惚気のような話の事もあったが、八割くらいは愚痴に近いものだった。愚痴と言っても、彼女に嫌気が差して出てくるものではない。また約束を守ってもらえなかった、また他の男と会っていたらしい、また仕事を優先された、また、また、また……そんな出来事の積み重ねを抱え切れなくなった彼が時折溢し出す小さな叫びを、私は丁寧に拾い上げて聞いていた。
「いつも思うけどさあ、もう別れたら? 全然大事にされてないじゃん」
「……そうなのか」
「私が同じ立場なら、そう思う。だって、尾形は彼女の為にいつもあれこれ気にしてあげてるじゃん」
 てっきり彼女なんて面倒臭がりそうなタイプだと思っていた尾形だが、話を聞く限り意外にも彼女は大事にするタイプだったようで、デートの計画はしっかり考え記念日にはきちんとプレゼントを用意していたし、彼女が遅い時間までの飲み会があればいつでも迎えに行けるよう寝ずに待っている事もあった。
「そりゃ、私は尾形から聞いた話でしか知らないけどさ。それでも、色々とあんまりだと思うよ」
「……」
 すっかり氷の溶けてしまったアイスコーヒーをストローでくるくると掻き混ぜて、尾形は俯く。何を言ったって、私の言葉なんてこの男には響かないんだろう。むしろ、毎回嫌な事を言ってくる女だとさえ思っているのかもしれない。
「……でも」
「でも?」
「でも結局、あいつは俺がいないとダメだから」
「……あっそ」
 ずずずっと汚い音を立てて、ほとんど水になっているコーヒーをストローで吸い上げる。下の方に溜まっていたガムシロップのせいで口の中はこんなにも甘いのに心は苦くて堪らない。
 そんなのただの依存じゃん。俺がいないとダメ? そんな事ないよ、きっと。だって現にその人、しょっちゅう別の男と会ってるじゃん。誰だっていいんだよ、尾形じゃなくたって。ばっかみたい。
 脳内を駆け巡っていく言葉を吐き出さないように、最後の水滴と一緒に飲み干していく。
「ごめん、そろそろバイト行かなきゃ」
「ああそんな時間か。悪かったな付き合わせて」
「ははっ、別にいつもの事じゃん。まあまた愚痴りたい事あったら聞いたげるよ、コーヒー一杯分でね」
「ああ」
「……じゃね」
 まだ席を立つ気配のない尾形を置いてバッグを手に取り店を出る。彼女の職場はこの近くらしい、きっとあのまま彼女の仕事が終わるまで健気に待つのだろう。前まではあんな男じゃなかったはずなのにな。何が彼を変えたんだろう。
『でも結局、あいつは俺がいないとダメだから』
 尾形が先程言っていた言葉が何度も頭の中で反響する。昔から、何かうまくいかないことがあると「やっぱり俺ではダメか」と言っていたあの尾形があんな事を言うのかと思った。その度にそんな事ないよと励ましてきたつもりだった。だけどきっと足りなかったのだ。
「尾形じゃないと、ダメなんだよ」
 あの時そう言ってあげられていたら何か変わっていたんだろうか。
 私だったらもっと大事にするよとか、私だって尾形じゃなきゃダメだよとか、今更言ってもきっと何も変わらない。それでもそんなタラレバを繰り返しながら、私はきっとこれからも尾形との関係を続けていく。この関係に依存しているのは、私だってきっと同じなのだ。
 鼻の奥がツンと痛くなる。下を向けば何かが溢れ落ちそうな気がして、必死で顔を上げる。夕焼け空が、なんだか心にとても沁みた。
  
 

ほんの少し蛇足的な続き
 
「彼女、やっぱり浮気してたんだ?」
「いや、そうと決まった訳じゃない」
「いやもう、それ絶対クロでしょ」
「……そうなのか」
 尾形の真っ黒な瞳が動揺で揺らめいて、どこか罪悪感を感じる。彼は、それはきっと誤解だよと私に言って欲しかったのかもしれない。だとすれば、私に話してきたのがそもそもの間違いである。
「それでも、別れたくないんだ?」
「……」
 押し黙る尾形にどこか苛立ちさえ感じる。そんなに好きなんだね、彼女の事。喉元から込み上げる言葉に出来ない感情に、私は思わぬ言葉を口走る。
「もうさ、尾形も浮気してみたら?」
「は?」
「目には目を、歯には歯を、浮気には浮気をだよ」
「何言ってるんだ」
「私浮気相手になってあげようか? そんで、彼女に思い知らせてあげたら?」
「おい」
 自分でも、何を言ってるのかなんてわからなかった。心の中はぐしゃぐしゃだった。
「俺は、そんな事しないし、するとしてもお前を相手にはしない」
「……だろうね」
 はっきりとした拒絶をされ、ぐしゃぐしゃだった心は追い討ちをかけられる。そんなに拒否しなくたっていいじゃないか、女として見られてないのなんてとっくの昔からわかっているのに。
「お前は、俺にとって数少ない友達だからな」
「……え?」
「そんな事で、お前との関係がギクシャクするのは、なんか嫌だ」
 感情の読めない表情で、尾形は淡々と言う。
「……ははっ、やーだ冗談じゃん。間に受けないでよ」
「タチの悪い冗談はやめろ」
「あはは、ごめんごめん。でもま、勘違いだといいね。彼女の浮気」
「……ああ」
 ポツリと暗い表情に戻る尾形とは裏腹に、私の心は少しだけ晴れていた。彼女にはなれないけれど、尾形にとって私は少しだけ特別な存在だと自惚れてもいいのだろうか。ギクシャクして失いたくない、そんな女友達。彼の中で私がそこに位置付けられているなら、それも悪くない気がした。

大好きな夢絵師さんの夢絵から膨らませたお話(ご本人許可済)たまにモブ女になって失恋したくなる(?)
初出・2022/10/04