最高の時間を味わおう

 職場の自動扉から一歩外に出ると、室内外の気温差に思わず身を震わせた。吐く息が白くなるほどではないけれど、それでも思わず吹きつける風に肩をすくめてしまうほどには寒くなった。暑かった夏はとうに過ぎ去り、秋の気配を追い越してもう冬へと駆け抜けようとしている。この間の週末衣替えをしておいて正解だったな、と少しだけ厚手のロングコートのポケットに手を突っ込みながら数日前の自分を心の中で褒め称えていると後ろから声を掛けられた。
「よう、お前も今帰りか?」
「お、尾形だ。お疲れー」
 声の主は別の部署に所属する同期の尾形だった。バスの路線が同じ尾形とは、時たまタイミングが被ると一緒に帰る事がある。お互い何も言わずに自然と同じ方角へ歩幅を揃えて歩き出す。
「それ、あったかそうだね」
「これか? まだ早いかとも思ったが持ってきておいて正解だった。寒くて堪らん」
 尾形の瞳のように真っ暗なマフラーを首に巻き、同じように肩をすくめながら尾形はそう言った。
「ここ数日でまたグッと寒くなったよね。この間衣替えしておいてよかったってちょうど今自分を褒めてたところ」
「なんだそりゃ」
「ついでにコタツも出しちゃった。早いかと思ったけど正解だったー」
「……コタツ? お前、一人暮らしだったよな? コタツがあるのか?」
「ん? 今結構一人暮らしでも使えるような小さめのコタツ机あるよ。あれを手に入れてしまったらもうコタツのない冬なんて考えられない!」
「そうなのか」
「いいよぉ、コタツ。この時期に敢えてアイス買ってコタツで食べるアイスなんか最高だよ。ちょっとの背徳感とかなりの幸福感」
「……ほぉ」
 そんな事を話しながらバス停に到着すると、タイミングよくバスが来たので乗り込む。ほどほどに混み合ったバスの中は静かで、私たちも会話を止めてバスに合わせて体を揺らした。
 
 四つめのバス停が私の最寄りだ。確か尾形はここから二つ三つ先のバス停まで乗るはず。停車ボタンを押した後、「じゃあね、お疲れ」と小さく尾形に声をかけバスを降りる。バスの乗務員が私に向けて「ありぁとござぁっした~」と独特なアナウンスをした後、もう一度その言葉を発するのが耳に入った。誰かもう一人降りる人がいたのかと何となく振り返ると、そこに立っていたのはまさかの人物だった。
「……何してんの、尾形」
「ちょっとコンビニ付き合え」
「いや、何でここで降りてんのって聞いてるんだけど?」
 私がかける言葉には耳を貸さず、すたすたと私が普段歩く道を進んで行く尾形。意図の読めない行動に首を傾げながらついていき近くにあったコンビニに入る。私がついてきているのをちらりと確認した尾形はそのままアイスクリームの並ぶコーナーに足を進め、ハーゲンダッツを手に取った。
「期間限定のものが二つ、定番のものが三つ。お前はどの味が好きだ」
「えっ、何?」
「俺の奢りだ、どれにする? なんなら二つ選んでもいいぞ」
「いや、話が見えないんですが」
「何でもいいから早く選べ、手が冷たい」
「えぇ? じゃあこっち」
 話についていけないまま期間限定の一つを指差す。尾形はうなづいて期間限定のフレーバーを両方手に取りレジへと進んだ。会計を済ませた尾形は、ごく当たり前のように「で、お前の家はどこだ」と言う。
「えっ、私の家に来るの!?」
「コタツで食べるアイスは最高なんだろう? 俺もそれを味わってみたくてな」
「えぇ……」
「なんだ、いらんのか?」
 そう言ってハーゲンダッツの入った袋を掲げる。くぅ、狡い。それは食べたい。色々と言いたい事はあったが、何を言っても無駄な気がして飲み込み、大人しく気まぐれなこの男を連れて家へと向かった。
 
「急だから、散らかってるけど」
「ははぁ、構わん。本当にあるんだな、小さいコタツ」
「ね、可愛いでしょう? ここでみかん食べたり一人鍋したり、すっかりコタツの虜なのよ」
「ほぅ……」
 ハンガーを持ってきて尾形のコートを掛けてやる。コタツの電源を入れ、アイスはすぐ食べるかと聞くより先に遠慮する事もなく尾形はコタツの中に足を踏み入れる。こいつ、家主より先に。そんな風に思うけれど、心なしか嬉しそうな表情をする尾形がなんだか可愛くて思わず笑った。
「はい、アイス」
「ん」
 尾形が座る向かい側に私も足を入れる。外気に触れ冷え切った爪先がじんわりと暖まるのを感じながら、アイスの蓋を開けた。ほんの少し柔らかくなりスプーンを入れやすくなったアイスを一口すくい、口に運ぶ。私のその行動に倣って同じように尾形もアイスを味わう。無言のままアイスを半分ほど平らげてから、私は尾形に問いかけた。
「どう? コタツでアイスを食べるの、最高でしょ」
「まあ、悪くない」
 そんな言葉を口にするけれど、彼の表情とアイスを口に運ぶ速度が、きっと気に入ったんだろうなと感じさせた。まったく、素直じゃない奴、と思いながらも、そんな尾形をまた可愛く思い笑った。
 
 その日を境に、尾形は頻繁に私の家に足を運ぶようになった。このアイスが美味いらしいぞだとか、近所のばあさんにみかんを貰ったからお裾分けだとかなんだとか言いながら、手土産片手に我が家へ訪れてはコタツを堪能して帰って行く。日に日に寛いでいく尾形の姿を見ながら、気まぐれな猫を手懐けたような感覚に陥った。彼が本当に猫ならば今頃喉をグルグルと鳴らしているだろう。社内では女性人気も高いらしい尾形がこんな風にコタツでぬくぬくと寛いでる姿なんて、彼女たちは想像もしないだろうなと思うと、優越感に似た感情が胸に広がった。
 そんな日々が続き、外へ出ると息が白くなるようになった頃、手土産持参ではなく二人でスーパーに買い物に行き鍋をする事になった。「鶏と豚どっちがいい?」「あんこうはないのか」「ないねえ、好きなの?」「ああ。あ、椎茸は入れるなよ」そんなやり取りをしながら、側から見たらカップルか夫婦に見えるんだろうかと胸がくすぐったくなる。実際のところは恋仲どころか、何度も我が家へ訪れているが手すら握った事もないのだけど。
 
 家に帰り鍋の用意をしていると、何か手伝う事はないかと尾形が言う。てっきりコタツでぬくぬくと待つだけかと思ったので意外に思ったが、元は仕事の出来る男だ、こういう気遣いもさらりと出来るのだろう。野菜を切るだけだし気にせず寛いでて、と言うと少しの間調理をする私を後ろからそわそわと眺めた後、大人しくコタツに潜り暖を取っていた。まったく大きな猫に懐かれたものだなぁと思いながら鍋の支度をして、取り皿と共にコタツに運ぶ。ぐつぐつと煮立った鍋を取り分けると、尾形はしばらく口を付けずにスーパーで一緒に買ったビールを煽り、少し経ってから箸を手に取った。さては猫舌だな。期待を裏切らない猫っぷりである。
 二人で鍋を空ける頃にはお腹はパンパンになっていた。デザートにとアイスも買っていたが今は到底入りそうにない。尾形もそれは同じようで、満足げにコタツの中で丸くなっていた。
 鍋を下げ食器を洗って再びコタツに戻ると、満腹感と少し回ったアルコールに心地良い温もりのフルコンボで尾形はうとうとと微睡んでいた。何度も遊びには来ているけれど流石に泊めるわけにもいかないので軽く突いて尾形を起こす。
「ほらほら、寝たら帰れなくなるでしょ」
「んー」
「ねえちょっと、起きて」
 腕を軽く小突いてなんとか尾形の意識を引き戻しながら、また寝てしまわないように机の角を挟んで尾形の左隣に座って何度か声を掛けていく。やっと目が覚めてきた様子の尾形に呆れながら、私は言った。
「まったく、そんなにコタツが気に入ったなら尾形もいい加減コタツ買えばいいのに」
「俺の家にコタツは合わん」
 尾形の家には行った事ないけれど、確かに普段の服装や持ち物から察するに何となく部屋のイメージは湧く。黒を基調としたスタイリッシュな部屋ならコタツは少々アンマッチかもしれない。
「んー、でもコタツ布団の色とか選べば意外と行けるんじゃない? 机も結構オシャレなのあるよ、ほら」
 そう言ってスマホで検索した画面を尾形に向ければ、瞳孔をキュッと細め尾形はスマホの画面ではなく私の顔をじっと見つめた。
「……迷惑なのか」
「え?」
「俺がお前の家に、コタツに入りに来るのは迷惑だったのか。だからもう来ないようにそんな風に言うのか」
 先ほどのように体を丸くし、整った髭を携えた顎を机の上に乗せたまま拗ねたような顔をして尾形は言った。なんと、今更な事を。
「あのねえ、迷惑だったならこんな風に一緒に鍋つついてないんですけど」
「……本当か?」
「ほんとほんと。ただうちに来るより自分の家の方がより寛げるんじゃないかなって思っただけだよ」
「そうか、そうだよな」
 そう言って体を起こし、尾形は綺麗にセットした髪を撫で付けた。先ほどの顔とは打って変わって安心したような顔をしているのを見て、何故だか私も安心した。
「そうだ。アイス、食べる? まだいい?」
 食器を洗った為まだ冷えていた手をコタツの中に入れて温めながら尾形に問うと、尾形は返事もせずじっと私の顔を見る。コタツの中に入れた指先に何か触れ不思議に思っていると、キュッと右手の薬指が握られた。ゴツゴツとしたそれが尾形の指だと気付くと同時に尾形が口を開く。
「なぁ、本当に俺がコタツだけを目当てにこの部屋に通っていたと思うか?」
 先ほどまで冷え切っていた指先が徐々に熱を帯びていく。その熱がコタツによるものなのか、それとも尾形から熱を奪ったのか、はたまた、私の心臓がとんでもない早さで血を巡らせているからなのかわからない。一つだけわかるのは、目の前の尾形がこれから、同期ではなく別の名称の関係のものになるのだろうなという、ただそれだけだった。

ぽろっと夢ツイしたら反響もすごくて書いたお話
。火鉢で暖をとる尾形が可愛くて好きなので、現パロ尾形絶対コタツ好きでしょと思ってます。
初出・2022/10/28