サプライズ大作戦 彼女の場合

 正直言って、どうして私がこの人の彼女になれたのだろうと今でも思う。
 
 別に、恋愛経験が全くないというわけではない。特別モテるわけではないけれど、人並みに恋をして誰かと付き合って、そして別れを経験してきたと思う。それは学生の頃から大人になった今でもそうだった。恋人がいない時期もあったが、だからと言って無理に恋人を作る必要性も感じなかった。自然に恋に落ちてその人といい関係が築けたらいいという感じだった。
 だけど、大人になるとそうも行かないらしい。そもそも異性と出会うきっかけが少ないのだ。自然と恋に落ちるというタイミングもないまま、気が付けば私は前の彼氏と別れてから一年が経過しようとしていた。結婚願望が全くないわけではない。だからと言って婚活に臨むのも気が引ける。そんな自分自身に、何やってんだかと小さくため息をつく。正直恋愛の始め方も忘れかけていた。
 
 彼と出会ったのは、そんな時だった。
 夏の暑い日から体を震わせる寒い冬になり、私を湯たんぽ代わりに抱き締める彼の胸元に頬擦りしてゆっくりと目を閉じた。
 
 出会いは私にとっては一大事だった。「一人人数足りなくなったから、お願い!」と職場の先輩に誘われ連れて行かれた合コン会場に、彼はいた。
 数合わせとは言え初めて参加する合コンに、どう振る舞うのが正解かもわからなかった。我先にと良さをアピールしていく女性陣を見て、凄いなあと感心しながら私は渡された料理を静かに食べていた。今日は合コンの雰囲気を知れただけよしとしようと静かに考えていると、先ほどまで反対の端に座っていたはずの男性が目の前の席に腰掛けた。それが彼、尾形百之助だった。
 ぴっちりと綺麗にセットされた髪に、整えられた顎髭。昔事故にあったという顎の縫合跡に一瞬ドキリとしたが、話してみると怖い人ではなさそうだった。いやむしろ、色が白く整った顔をした彼に、他の女性陣は彼狙いの人もいたようでふとした瞬間に刺さる視線が痛かった。
 こんなにモテそうな人が何故わざわざ私の前に座ったんだろうと思いつつも、周囲に合わせて会話をしてご飯を食べ進める。合コンとしての収穫はなかったけれど、美味しいご飯を食べれてよかったなと思いながら解散しようとすると、彼から「今度食事にでも行かないか」と連絡先を聞かれた。他の女性ではなく、どうして私なのだろうと驚きながらも、ほんの少し胸を弾ませながら連絡先を交換した。
 
 それからは何度か食事に行った。彼から誘われる事もあれば、こちらから連絡する事もあった。本音を言うと、少し浮かれていた。一年以上恋愛沙汰には無縁だった私が、食事だけとは言えあんなに素敵な男性と何度も出かけているのだから、少しくらい浮かれてもしょうがないという気持ちがあった。
 そんなある日、合コンに誘ってきた職場の先輩に「その後どう?」と声を掛けられ、私はうっかり彼と何度か食事に行っていると話してしまった。
「そうなんだ。でも別に付き合ってる訳じゃないのよね? 尾形さん、常に彼女いるような人だから、今もそうなんじゃないかなあ。この間のも無理やり合コン付き合わされたって言ってたし。彼女さん怒らせるような事、あんまりしない方がいいかもね」
 まるであなたの為に言ってるのよと言わんばかりの口調に違和感を覚えながらも、確かにそうかもしれないと不思議と頭が冷めていった。
 タイミングがいいのか悪いのか、その日の夜は彼との約束のある日だった。食事を終えたタイミングで、私は抱えたモヤモヤを吐き出すように彼に問いかけた。
「こんなに尾形さんと過ごしていて彼女さんに怒られないですか?」
 恐らく声が震えていたと思う。今ならまだ傷は浅いと思う私と、もう今更引き返せないと叫ぶ私が心の中にいた。いくつか言葉のやり取りをした後で、彼が「生憎、今は彼女がいない」と口にした。昼間からのモヤモヤが少し晴れ、途端に安心感でいっぱいになる。
 かと思えば、過去の女性関係を匂わせたり、今は彼女を作る気はないと彼は言う。それから、彼は私をじっと見つめて続けた。
、付き合うつもりはない」
 そう私の反応を試すように言う彼に、声を振り絞りながら「揶揄ってるつもりなら、やめてください」と伝えた。
 彼は一瞬瞳を細め、綺麗に整えた髪を撫で付けた。
「ははぁ、そんなつもりはないんだがなぁ? 流石に傷付いたよ」
「……ごめんなさい」
「冗談だ。傷付いてはない。だけど、揶揄っているつもりもない」
「……」
 言葉ではそう言いながらも、少しだけ傷付いたような表情をした彼は、真剣な眼差しで私をじっと見つめた。黒く大きな瞳から逃れるように思わず目を伏せ、彼の言動を噛み締める。そして静かに小さく深呼吸をして顔を上げ、「食いしん坊でよければ、彼女にしてくれますか?」と微笑んだ。
 安心したように目を細めた彼にゆっくりと手を差し出すと優しく指を絡められた。なんだか気恥ずかしくなって、お店を出ようと言う私に彼は頷いて会計を済ます。汗が滲むような、そんな暑い夜だったにも関わらず、彼は店を出ても私の手のひらを掬ってピッタリと手を繋いだまま歩いた。遊び慣れている彼の事だ、もしかしてこのままホテルに行くのかもとも思ったが、意外にも駅へと送り届けられ、そんな紳士的な部分にも心がじんわりと温かくなった。
 
 この人とは、きっといい関係が築ける。不思議とそんな気持ちになりながらその夜は電車に揺られた。
 
 実際のところ、彼と過ごす日々はとても楽しかった。食事の好みや物事の楽しみ方がどこか近いようで、私が行きたいところを彼は気に入ってくれ、そしてまた彼が誘い出してくれるところはどこもとても楽しかった。さすが遊び慣れている人は女性の扱いに慣れているな、と心がチクリと痛むこともなくはなかったが、予想以上に誠実に向き合ってくれている様子の彼が嬉しかった。
 
 季節が巡り冬になっても、彼との関係は穏やかに続いていた。カレンダーを眺めながら、もうすぐ訪れる彼の誕生日に、何をプレゼントすれば喜ぶのかと言うのが今の私の悩みである。
 少し前のクリスマスは、生憎百之助さんに急な出張が入り二人では過ごせなかった。センスの良い彼に何を贈れば良いか悩んだ末、一緒に買い物に行って選んでもらおうなどと考えていた私は、結局プレゼントを贈る機会ごと逃してしまっていた。彼からは、お土産とは別に出張先で見つけたという可愛いスノードームを貰ったというのに。
 だからこそ、初めて迎える彼の誕生日は頑張りたい気持ちがあった。ちょうどその日は日曜日。最近の週末は、都合が合えばどちらかの家に泊まって一緒に過ごすようになっている。その週末は私の家に招いて、一日早いけれど土曜の夜にいつもより手の込んだご馳走を振る舞うのはどうだろうか。プレゼントは、日曜日に一緒にショッピングして探そうかとも一瞬思ったけれど、どうせならやっぱり自分で考え選んで、その上で喜んでもらいたい。全て黙って計画して、彼を驚かしてみたい。
 そんなサプライズ作戦を練りながら、早速仕事終わりに百貨店に寄ってみようと思うのだった。
 
 だけどその計画は、あっさりと崩されようとしていた。彼の誕生日を一週間後に控えた週末、いつものように二人の時間を過ごしていると彼は思い出したように口を開いた。
「来週も、俺の家に来ないか」
「えっ」
「……何か、不都合があったか?」
「う、ううん。ただその、先週も今週も百之助さんのお家だったから、来週は私の部屋に来るかなって思ってたの」
「行きたいところがあって、お前の家よりこっちの方が近いんだ」
「あ、そうなんだね」
 お祝いする相手が希望している事があるのなら、私が考えている計画よりもそちらを優先させた方がいいに決まっている。少し悩んだけれど、そう思い至り「わかった」と返事をした。
「ところで、行きたいところって?」
「行ってからのお楽しみだ」
「えぇ、何それ、気になる」
「まあ、楽しみにしておけ」
「……はぁい」
 ニヤリと笑う彼に、プラン変更だと必死に脳内を稼働した。手料理が無理なら、せめてどこかいいレストランを予約しよう。そう思い、彼に問いかける。
「ちなみに、来週何か食べたいものとかある?」
「ああ、土曜の夜はもう店を予約している」
「え、百之助さんが? どうして?」
「なんだ、悪いか」
「いや、そう言う訳じゃないけど……」
 誕生日を迎える相手が自らお店を予約しているというのはあまり聞かない話だったので、思わず動揺してしまう。もしかするとどうしても行ってみたい店があったのかもしれない。前もって聞いておいて、私が予約すればよかったと後悔した。ならば、プレゼントに賭けるしかない。いやもしくは、日曜の夜に手料理を振る舞う事にしようか? だけど、彼の行きたいところがどこかわからない為もしそのまま近くで食事をして帰宅する事になったら……
 これまでにあまりサプライズというものをした事がないのに張り切った結果、今のところ何もうまく行きそうにない。どうしたものかと頭を抱えながら、残り一週間となった彼の誕生日の事を毎日考えた。
 
 あっという間の一週間だった。私のスマートフォンの検索履歴は「誕生日」「プレゼント」「サプライズ」などで埋め尽くされていった。ケーキを手作りしようかとも考えたが、彼はそこまで甘いものが好きではないし、今度のデートは一度家に寄るのではなく、駅で待ち合わせをしてからのスタートということになっていたので荷物の事も考えてやめた。
 結局他に思い浮かぶのはプレゼントで喜んでもらうというものだけだった。何がいいだろうと頭をひたすらに抱えながら仕事終わりは商業施設に立ち寄った。ふと時計屋が目に入り、この間の彼との会話を思い出した。
 確か一緒にテレビを見ていた時だ。スマートウォッチに関する話題が取り扱われているのを見ながら、ふと自分自身の使っている腕時計に目をやった。
「この時計、結構長く使ってるから買い替えたいんだよね」
「綺麗な状態に見えるが」
「どこかおかしいのか、電池を入れ替えてもよくずれちゃうの時間が。電波時計とかじゃないから」
「そうなのか」
「スマートウォッチかあ。使いこなせる自信はないけど、そういうのもいいかなあ」
「確かに、結構身の回りのやつも使っていて便利そうな」
 ——そうだ、あの時。彼は珍しくじっとテレビを眺め、スマートウォッチに興味を持っていた。
 プレゼントはこれだと思い、踵を返した。型は違うけれど、同じ国産メーカーのスマートフォンを私も彼も使っている。少し前にそこのメーカーから新しくスマートウォッチが出ているはずだ。時計屋ではなく家電量販店へと息を弾ませて向かった。彼の腕に私からの贈り物が巻かれる事を想像しながら。 
 土曜日。晴れてよかったと思いながら待ち合わせ場所に向かうと、すでに彼はそこにいた。お気に入りの黒のコートにグレーのマフラー、白のニットと黒のパンツというシンプルさなのに遠目でも彼だとわかる。
「待たせちゃってごめんなさい」
「別に、待ってない」
「でも、手が少し冷えてる」
「それはいつものことだ」
 ひんやりと冷たい彼の手を握る。プレゼントは、手袋でもよかったなと今更ながら思った。
 
 行きたいところがあるという彼について行けば、そこは私が先日気になっていると話していた展示会の会場だった。本物そっくりの食品サンプルが会場いっぱいに並んでいるのを見て、思わず感嘆の声が漏れそうになる。
「え、えっ! 行きたいところってここ?」
「どっかの誰かさんのおかげで、つい気になってな」
 ニヤリと笑う彼の表情に嬉しくなり繋いだ手を握る力を強める。好きに見て来いという彼に甘えて、気になるブースを彼の手を引きながら眺めていく。
「見て、このエビフライのサンプル。本当に食べられちゃいそう」
「おいおい、かぶりつくんじゃないぞ」
「もちろんそんなことしないよ! あ、見てこの鍋焼きうどん、椎茸も本物そっくり」
「やめろ、そんなものを見せるな」
 きゃっきゃとはしゃぎながら展示会場をゆっくりと回った。彼の誕生日のお祝いなのに、私がこんなに楽しんでよかったのだろうかと思ったのは、会場を出た後の事だった。
 少しだけウィンドウショッピングをして、それから彼が予約してくれたというお店へと向かった。フレンチだけれど比較的カジュアルめで、照明も調度品もとてもこだわっているように感じる雰囲気の良いお店だった。
「素敵なお店ね」
「お前が気に入るだろうと思ってな」
「え、そうなの?」
「好きだろう、こういう店」
「うん。流石百之助さん」
 そう言えば、どんなもんだいと言いたげな顔で彼は口角を上げる。
「でも、よかったの? 私が気に入りそうな店で、って……百之助さんが行きたいお店の方が良かったんじゃ」
「お前と来たかった店だから、別にいいだろう」
「それなら、いいんだけど」
 
 通された席は周囲の席から少し離れ半個室になっている場所だった。飲み物を頼み、順番に運ばれる料理を口に運んでいく。お酒も食事もとても美味しかった。メインの肉料理を食べ終わった頃、そろそろプレゼントを渡す頃かしらとなんとなしにそわそわする。それとも、家に行ってから渡した方がいいだろうか?
 落ち着かない気持ちでワイングラスを傾けていると、不意に私たちがいる場所だけの照明が少しだけ落とされた。あれ? と辺りを見回すと、デザートを運んでくる店員が目に入った。誕生日などのサプライズではよく見かける演出。だけど、私はこのお店に来る事を当日知り何もお願いなどしていない。では、何故こんな事が起きているのだろう?
 頭の中に浮かんだ疑問符は、テーブルに置かれたデザートを見てやっと理解出来た。
『Happy Anniversary』
 彼の誕生日の事で頭がいっぱいだったけれど、そう言えば明日は付き合って半年の記念日だったのだと、私はそこでようやく気付いたのだった。
 驚いて言葉を発せなくなった私に、百之助さんは言った。
「半年で記念日の祝いをするのは学生くらいなもんかとも思ったんだがな」
 そう言って自身の髪を撫で付けながら視線を少し落とし、言葉を選びながら彼は続ける。
「自慢じゃないが、女には困った事がない。だけど、どの女達とも続いた試しがなかった」
「……うん」
「半年続いた女は、お前が初めてだ。そして、これから先もそばにいたいと思ったのは」
「……ふふ、そっか」
 そうして彼は、そっと何かを取り出した。綺麗にラッピングされた箱を、私の前に置いて彼は言う。
「これからの時間も、俺と刻んでいってくれないか」
 彼の黒い大きな瞳が、まっすぐに私を捉える。まるでプロポーズのような言葉に、私は動揺して言葉が上手く出なかった。彼の瞳に不安の色が点る前に、大きく何度も首を縦に振る。
 そんな私を見て、彼はふっと息を吐くように笑った。
 
「一瞬、プロポーズなのかと思っちゃった」
「その時にはちゃんと指輪を用意してやる」
「わあ、そんな日が来るのかな」
「さあな。……それ、開けてみないのか」
「うん、今から開ける。……え、あれ」
 包装紙をそっと剥がしていくと、そこから現れたのは見覚えのある箱。
「なんだ、気に入らなかったか」
「ううん、あの……あのね」
 それは先日散々店先で悩み抜いた物と、ベルトが違うスマートウォッチだった。おかしくなって笑ってしまう私を彼は訝しげに見つめる。そして、私も彼への贈り物を取り出した。
「お前も、用意してたのか」
「うん。でも、ごめんね。私からは記念日のプレゼントじゃないです」
「……え?」
「え、もしかして忘れてるの?」
 眉を顰めたまま私を見る彼に、自分の誕生日だと気付いていないのだと悟る。
「一日早いけど、お誕生日おめでとう。百之助さん」
「……誕生日」
「あれ? 一月二十二日だったよね?」
「……そういえば、そうだな」
 彼はまた自身の髪を撫で付けた。ねえ、開けてみてと笑いかけ、彼が同じように包装紙を剥ぎ取っていくのを見守る。中身が見えた時、彼は瞳をキュッと縦に細くして、私の顔を見上げた。
「これからも、同じ時を刻んでいこうね」
「……それはプロポーズか?」
「いつか指輪を用意してくれるんじゃなかったの?」
「ははぁ、そうだったな」
 茶化すように彼は言ったけれど、その声がほんの少し湿り瞳が揺れたのを、私は見逃さなかった。気付いたけれど、気付いていないふりをした。きっと彼は、気付かれたくないだろうと思ったから。
 お互いに時計をはめて手を握る。思いがけないサプライズを私もされたけれど、誕生日のお祝いはきっと成功したと思っていいだろう。
 何度も左腕につけた時計を眺める彼の姿を見ながら、私は運ばれてきたデザートを運ぶ。
 色鮮やかに皿の上を飾ったフルーツやムース達は、とびっきりに幸せの味がした。
 
 この後彼の家に行き、可愛らしい風船で飾られた彼の家に目を白黒させ、そして渡される小さな花束にいよいよ私は泣き笑いをした。サプライズのフルコースを、その夜はたっぷりと堪能したのだった。

尾形がこんなサプライズするか!?と思いながらも、してたら可愛いな!?の気持ちで書きました。
初出・2023/01/22