壊されてるのに壊せない
ドライヤーを当てたばかりで熱のこもったままの髪を纏めながらソファへと腰を落として、私はその違和感にため息をついた。シャワーを浴びる前にテーブルに置いたままにしていたスマートフォンは、僅かではあるが位置が変わっているように思う。
つい先日パスワードは変えたばかりだ。だけど、入れ替わるように浴室へ向かった男の表情を見る限り、パスワードは容易く見破られてしまったのだろうと推測した。他の友人が言うには彼の表情は分かりづらいそうだけど、残念ながら僅かな表情の変化で彼のことを読み取れるようになってしまうほどには、付き合いが長くなってしまった。
ロックを解いてメッセージアプリを確認する。案の定、今度ランチに行こうと約束していたはずの友人とのトーク画面が見つからなかった。偶然街中で再会したかつての同級生だった。連絡先交換を出来て喜んでいたのに、友人一覧からも彼女が愛犬と写っているアイコンが消えている。
腹の底から沸々と怒りが湧いてくる。だけど、それをぶつけてもまたのらりくらりとかわされるのもわかっている。あの男といる限り、私はずっとこのままなのだろう。
浴室から音がする。シャワーを浴びるだけの彼の入浴時間は、いつも短い。下着姿にバスタオルを肩にかけ、髪を濡らしたままの男が戻ってきた。いつもは綺麗にオールバッグにしている髪が下りていて、非常に幼く感じる。
「髪、乾かしてきてよ」
「もう少し経ってからな。あつい」
「じゃあせめて、もう少し拭いて」
そのまま冷蔵庫へ行き麦茶をコップに移して一気に飲み干していた。ピッチャーから直接飲むことは決してしない、そういうところは好きだ。元彼がそういうことするタイプだったんだよね、と以前うっかりこぼしてしまった時には、彼の目が怖くて後悔したけど。
「ねえ、また消した?」
「なんのことだ」
「私、楽しみにしてたんだよ。今度のお休みに友達とランチ行くの」
「へえ、そうだったのか」
「何年かぶりに会った友達と、ゆっくり話したかったのに」
こちらをチラリとも見ずに、彼はもう一杯分麦茶を注いで冷蔵庫を閉じた。コップいっぱいに入った麦茶が揺れている。
「何年かぶりに? そんなやつと何を話す」
「近況とか、思い出話とか」
「宗教やマルチの誘いかもしれないぞ?」
「もしそうだったらちゃんと断るわよ」
「はっ、お前に断れる強さがあるとは思えないがな」
言われて言葉に詰まる。それはそうだ。その強さがあったなら、私はきっとこの男にこんなことをされていない。対人関係を壊され続けて、学校でもほぼ友人なし、バイト先も転々とするなんてこと、きっとなかったはずだ。
何も言えなくなった私を見て、彼はニヤリと笑って麦茶をまた飲んだ。上下する喉仏に噛みついてやりたかった。
「その強さがあったら、とっくの昔に尾形と別れてる」
「別れたいのか?」
鋭い眼光と上がった口角。思ってもないくせにという口ぶりさえも憎らしい。
だけど、実際こうなってもまだ、彼がいるならいいかと心の底で思っている私は、とっくの昔に心も壊されているんだろう。
初出・2023/08/28