染まらないよ、あなた色以外には
部屋の中へ入った瞬間、ふぅー……と長いため息が漏れた。先ほど式場の人が運び込むのを手伝ってくれたもの達を尻目に、私は畳の上に寝転んだ。ワンピースを脱ぎたいけれど、背中のファスナーに手を伸ばす気力もない。せめてもの力を振り絞ってストッキングを脱ぎ捨てた。こんなことしていたら、百之助に「邪魔だぞ」なんて蹴飛ばされるかもしれない。
ごろりと寝返りを打つと、い草の匂いが肺に広がった。新居を決める時、和室がある部屋にするか否かでしばらく悩んだのを思い出す。実家には和室がなかったから、畳って掃除とか手入れとか大変そうと思って私は渋った。だけど、和室があった方が落ち着くと百之助があんまり言うのだから私が折れた。今後もし家族が増えた際にも、和室があった方が何かと便利ですよと不動産屋が言ったのも大きい。あの頃は、まだ結婚を決める前、まずは同棲しようという段階だったけれど、百之助が「確かにな」なんてポツリというもんだから、急に未来が広がった気がした。
和室、あって正解だったなと天井を見上げながら思う。フローリングには、こんな風に寝転がることは躊躇ってしまうものな。そうか、いつか赤ちゃんがいたらこんな風に寝転んでハイハイをする姿を眺めたりも出来たんだろうか。不意に浮かんだ考えに目頭が痛くなって、そっと目を閉じて起き上がった。
片付けなくてはいけない荷物に手を伸ばす。この日のために慌てて準備した写真たち。百之助は写真を撮るのがあまり好きではなかったから、集めるのに苦労したな。式場のスタッフたちも手伝ってくれて、綺麗に飾られた私たちの思い出をそっと手でなぞる。これは初めてデートをした時、こっちは記念日に撮った写真、ああこれはまだ付き合う前だっけ。一つ一つを懐かしんだ後、箪笥の上に立てかける。
もう一つ大きな写真立てに入っているのは、人生の中で一番着飾った私たちの写真だ。黒いタキシードに黒いウェディングドレスで、ほんの少し緊張した笑顔をした百之助と私。ドレス選びの時、何着も何着も着ては脱いで迷ったけれど、結局これが一番しっくり来た。
――
「本当に白いドレスでなくてよろしいですか?」
「あはは、私たち、白ってガラじゃないからいいんです。ね?」
「でも、確かにお二人とも肌の色が白いから、黒いお衣装がとても映えますね。海外では結構多いんですよ、日本でも最近少しずつ増えています」
「へぇ」
「それに、黒いドレスの意味もとっても素敵なんですよ。ご存知ですか?」
「あ、なんか聞いたことあります」
「……あなた以外には染まりません、だったか」
無言のまま衣装担当の女性と私のやり取りを見ていた百之助が、そこでやっと口を開いた。そこからまた無言を貫いていたが、彼の視線に「そうであればいい」という願望が滲んで見えたのは自意識過剰かもしれない。
――
「あなた以外には、染まりません、か」
ぎこちない笑顔の二人をなぞる。あの時に誓い合った言葉が頭をよぎった。
「病める時も、健やかなる時も、喜びの時も、悲しみの時も」
共に支え合い愛し合う事を誓ったね。誓ったよね。約束したよ、喜びも悲しみも分かち合って生きていこうって。
「……でも、こんなに小さくなった百之助と、私どうやって分かち合っていけばいいんだろう」
運ばれた荷物のうちの一つ、小さな壺に私は語りかける。骨になってこの中に収まってしまった彼には、もう私の涙を拭ってもらうことも、ワンピースのファスナーを下ろしてもらう事も、寝転がって動けなくなった私を蹴り飛ばすことも出来やしないのだ。
「一緒に生きていくって誓ったのに。誓ったばかりだったのに、嘘つき」
誰もいない部屋で、そうひとりごちる。静かに響いた私の嘘つきという言葉に反応するように、涙が頬を伝った。
まだ実感はない。結婚式だって、私たち二人だけで挙げた。せっかくだからと写真だけ撮った。元々一緒に住んでいたから、変わったことと言えば色々な手続きをして私の苗字が尾形になったことくらい。
ようやく色々な手続きが落ち着いた頃だった。いつも通り仕事に出ていたはずの百之助が、今から帰るという連絡をしてから何時間待っても家に戻らず、次に入った知らせは事故に遭ったというものだった。慌てて駆けつけて手を尽くしてもらったけれどもう遅かった。
お互いに、家族と呼べる人間はほとんどないに等しかった。それでも二人で家族になることを願って、生活をして、それを叶えた矢先だった。だけど、私はまた一人ぼっちになった。
嘘つき、嘘つきと何度も唱えながら誰もいなくなった部屋の中で一人泣いて、気が付けば私は泣き疲れて眠っていたようだった。カーテンの外はすっかり暗くなってしまっている。
部屋の明かりをつけて、残っていた荷物を片付ける。簡易的に用意した仏壇に、骨壷をそっと置く。蝋燭を立て線香をあげようとしたところで、着火ライターを用意してないことを思い出した。
ベランダへ続く扉のすぐ近くに置いたチェストの引き出しを開ける。やっぱり入っていた。彼が吸っていたタバコの箱の隣にライターが二つ転がっっていた。それを一つ取り出し、仏壇の前へと戻る。
蝋燭に火をつけて、線香をかざす。小さな炎がうつったその先端を軽く仰いで、小さな赤だけを灯す。香炉にゆっくりと線香を立て、目を閉じ手を合わせた。
「……百之助の、嘘つき。私ひとり、置いていくなんて」
ぽつりと呟いて、目を開く。ぎこちなく笑う百之助をまっすぐに見て私は続けた。
「でも私は約束は守るよ。あなたが置いていったからって、私はあなた以外になんて染まらないから」
線香の煙が、不意にゆらりと揺れる。それは、彼が不意に笑った時、揺蕩うタバコの煙が揺れた時のものにとてもよく似ていた。
金カ夢一本勝負お題「揺蕩う」に合わせて。
以前から考えていたネタをお題に合わせて書きました。ただ大遅刻で間に合わなかったんですが……
一時期タイムラインで喪服の尾形というハッシュタグが流行っていたんですが、その時から何故か喪服の夢主と尾形というストーリーが離れなくて。
夢かと言われたら、果たしてどうなのだろうとは思っています。