大きなお風呂のあるところ
急ぎ足で向かったと言うのに、改札口の前で足がよろけ、無情にも発車のベルは鳴り響いた。
週末。飲み会終わりの、最終電車。乗り損なった私たちは、さてどうしようと顔を見合わせた。
「やばい、こんな時間まで飲んだの、流石に久しぶり」
「残業で終電ギリギリなのはよくあったけどな」
「確かに。仕事終わりの疲れた足では間に合っても、お酒が入った足じゃ間に合わなかったわ」
運動不足の足にはわずかな距離のダッシュが堪える。ふらついた足を休ませるためにベンチへ腰を下ろすと、とりあえずこれ飲め、と月島くんから自販機で買ったミネラルウォーターを差し出された。律儀に蓋まで緩めて。もうほとんどアルコールは抜けて酔いなんて冷めてるんだけどな。
同じ方面に住んでいる会社の同僚である彼とは、たまに残業や職場の飲み会でこうやって一緒に駅まで向かうことがあった。だけど、終電を逃したのは初めてだ。
「うーん、どうしよっかな」
「タクシー呼ぶか」
「月島くんところはまだ近いけどさー私の家結構距離あるもん。金額行くし、明日は休みだし、それなら近くのネカフェとか行こうかなぁ」
「一人でか? 危ないだろ」
「じゃあ月島くんも一緒に行く?」
冗談でそう言うと、思ったよりも満更でもなさそうな顔で、でもとかいやとか曖昧な返事が返ってくる。その表情を見て、なんだかもっと彼を揶揄いたくなって私は口を開いた。
「それとも、もっといいところ行こっか」
「……と言うと?」
「ネカフェみたいに狭くなくて、大きなお風呂があってゆっくり眠れるところ」
相変わらず満更でもなさそうに、だけど眉間の皺を深くしながら彼は口をぱくぱくとさせた。一体何を想像してどういう感情を抱いているんだか。彼だってすっかりアルコールが抜けているだろうに、心なしかほんのりと顔が赤くなってる。色ごとには興味ありません、といった月島くんだけどやっぱり男の人なんだなと少しだけ思う。あわよくばこのまま、私を異性として意識してくれたらいい。
「ま、月島くんはどちらでも。私は一人でも行くから」
半分ほどまで飲んでしまった水をバッグに入れ、私は立ち上がった。それじゃあねと振り返ろうとすると、神妙な顔をした月島くんは何かを決めたように「……危ないだろ」と言って私の後へと続いた。
通ってきた道とは反対方向へ足を進める。さっきは二人並んで走っていたのに、今は無言で彼は私の少し後ろを歩いている。一体今彼の頭の中はどんな状態なのだろう。この後どんな反応を見せるだろう。拍子抜けするかな、怒るかな。確かめることもできないまま歩き続けること約十分。目的地に着いた私はようやく振り向いた。
「到着〜!」
「……は、ここ……?」
「うん、ここ」
そこはもちろん、煌びやかなネオンの入り口……などではなく。周りと変わらぬビルの中、ほのかに灯った照明に「湯」というのれんのかかった場所であった。
「おおきな、風呂」
「そう。大きなお風呂あるよ。ここ、朝まで営業しててごろ寝スペースとかリクライニングスペースがあるらしいの。布団はないけど、ネカフェの個室よりはのびのび寝れるよ」
「……ああ、そういう」
はーぁと深めのため息を着いて俯いた月島くんの顔を覗き込む。怒りは見えない、と思う。きりりと凛々しい眉はわずかに下がっている。どちらかというと安堵と呆れかな、この感じは。頬が痛くなるくらいに口角が上がってしまう。
「もしかして月島くん、変な想像しちゃった?」
「してない」
「嘘だ、絶対してた」
「いいから、入るぞ」
額をペチンと叩かれる。痛い、けどデコピンじゃなくて良かった。いつぞや飲み会終わりにふざけて後輩にかましてたデコピンの威力を思い出して思わず顔を顰めながら額を抑えた。先にのれんを潜った月島くんに着いていって、二人それぞれ受付して館内着やタオルの入ったバッグを受け取る。
「じゃ、ここから先はご自由に、かな?」
「ん。あぁ……そうだな」
本当はまだ月島くんと過ごしたいけれど、あんまり引き止めるのもと思ってそういうと、存外彼は歯切れの悪い返事をしながら頭を掻いた。
「ここ、女性用スペースはあるのか」
「え、いや、ないんじゃないかな。お風呂以外は共同スペースみたい」
「……風呂上がり、その、ミョウジが嫌でなければまた声掛けてもいいか」
「そ、れは、もちろんいいけど」
むしろ嬉しいけど。すっぴんはちょっと恥ずかしいが、でもまあ仕事の納期がやばくて交代で仮眠取ったりしてる時ほぼすっぴんに近い状態を見られている。下手したらあの時の方が酷かったかもしれない。こんな事ばっか続けているからいつまで経っても女として意識されないのかもしれないけど。
「その、適当に寝るにしても、一応何かあると危ないだろ」
「んぇ〜心配してくれんの」
「するだろ、そりゃ」
「ふふ、ありがとう。じゃあ一時間後くらいにまた合流しよっか。もっと短い方がいい?」
「いや、それくらいでいい。俺もゆっくり浸かってくる」
「了解」
じゃあまた後で。そう言ってお互い色が分けられたのれんを潜る。まだお風呂には入っていないのに、体がぽかぽかと温かくて、頬が緩んだ。
ゆっくりと体を洗って湯に浸かって、スキンケアをしっかりして髪を乾かして。そうしてきっかり一時間後、再びのれんを潜るとすでに月島くんは近くのベンチに座って待っていた。ほかほかで、顔はほのかに赤らんでいる。なんだか上機嫌そうな姿が可愛くて笑みが漏れる。そういえば月島くん、お風呂好きって前に飲み会か何かで言ってた気がする。
「ごめん、待たせた?」
「いや、俺も今出てきたとこだ。なんか飲むか?」
「じゃあ私コーヒー牛乳」
お風呂上がりといえばこれだよね、という私に、俺はこっちだけどなと牛乳を選ぶ月島くん。二人で飲み干して場所を移動した。
「おー、漫画結構ある」
「ミョウジ漫画読むのか」
「割と好きだよ。最近はあんまり読めてないけど……んーでも今日は読めずに寝ちゃいそう」
アルコールは抜けたけれど、仕事の疲れとお風呂で解けた体がゆるりと重くなってくる。人をダメにしそうなクッションが置かれたエリアに行って、誰も使っていないクッションを二つ寄せる。ぽふん、と体を沈めると心地よい眠気が私を襲った。
月島くんは漫画を数冊手に取って隣に腰掛ける。へえ意外。月島くんも漫画読むんだ。映画化もされて話題になったヤンキー漫画、私は読んだことないけど月島くんってそういうの好きなのかな。
「月島くんも、漫画とか読むんだ」
「まあ、たまには」
「眠くないの? 寝ないで大丈夫?」
ふあぁ、とあくびを噛み殺しながらそう言うと、彼は少しむすっとしたように眉を顰めた。
「この状況で寝れそうにない」
「え、あ、ごめん。人が周りにいると眠れないタイプだった?」
「そうじゃなくて」
はぁ、とまた大きなため息をつきながら月島くんは私をじっと見据えた。あれ、なんだか怒ってる?
「お前は、誰にでもそうなのか」
「へ?」
「他の男の前でも、そうやって無防備な姿晒してるのか」
あ、これは怒ってますね。思わず体を起こして姿勢を正す。眠気がほんの少し遠のいていった。
「そんな事ないですけど」
「さっきの、ここに来る前も。あんな風にいつも男を惑わしてるのか」
「人聞き悪いなあ。月島くんにだけですよ」
「俺が悪い男で本気にして、ホテルに連れ込んだりしたらどうするつもりなんだ」
「月島くんはそんな人じゃないって思ってるもん」
上司が部下に説くように、いやというよりは親が子に説くように? 懇々と諭す彼にムッとして反論する。
「月島くんは、いっときの酔いに任せて同僚と寝るようなバカな男じゃないでしょ。私だって、同僚とワンナイトするような趣味はないです」
それにそもそも月島くん、私のことそういう目で見てないじゃんどうせ。その言葉も喉まで出かけたが、ぐっと飲み干した。元からわかっていたけど、口にするとちょっとダメージが大きそうで。
私の反論に月島くんは眉間の皺を濃くした。やだこめかみに血管浮いてる。これ結構怒ってるやつだ。
「同僚じゃなきゃ、するのか」
「え?」
「同僚じゃなかったら。さっきみたいに男誘うようなことして、一夜限りの関係に持って行くのか、お前は」
「はー、何それ。しませんけど」
あまりにも聞き捨てならない言葉に思わず声が大きくなる。ダメだ、周りにも少ないけれど人はいるのだ。抑えなくてはと思うのに、月島くんは声を抑えたまま淡々と私を責めるように言葉を吐く。
「さっきの言い方だとそうだろう」
「同僚とか以前に、そもそも好きでもない男と寝る趣味はないですし、月島くん相手にワンナイトなんて誘いません」
強い口調でそう言うと、月島くんは唇を歪ませて黙り込んだ。あ、違う。そういう意味じゃないのに。きっと私の言いたいこととは真逆の意味で彼に言葉が届いていると思って、咄嗟に私は月島くんの腕を掴んだ。
「一夜限りでなんて、そんな関係で終わりたくないから、ワンナイトになんて誘わないって事だよ」
「……は、」
「ああもう! こんな形でこんな事言うつもりなかったのに!」
ずっと仲の良い同僚だった。ギクシャクとしたくなくて、恋心に気付いてもそれを必死に隠して誤魔化していた。これまでも時折ふざけることはあったけど、いつだって冗談で終わらせてきたのに。
自身の顔を覆った手のひらに、月島くんの手が恐る恐る重なる。「それって、」微かに震えた彼の声が届くと同時に私たちに降ってきたのは、大変気まずそうな店員さんの声だった。
「あの、大変申し訳ございませんが、すでにお休みになっている方もいらっしゃいますのでもう少し声を落としていただけますでしょうか……」
私たちはのぼせたように熱くなった顔で平謝りをして、慌ててその場所を離れた。
「やだ、もうだめ。恥ずかしい。ここ出たいし二度と来ない」
「……すまん」
「月島くんのせいだ」
大きな声を出したのは自分だと言うのに棚に上げてそう言うと、彼はもう一度すまんと小さく誤った。月島くんはずっと声を抑えていて、悪いのは自分だとわかっているのに。
「あーその、ミョウジ」
「……何」
「ここ出て、場所変えるか」
「ど、こに」
思わぬ提案に顔を上げて月島くんの瞳を見る。少しだけ目を伏せた後、彼は意を決したように「でかい風呂があって、でかいベッドもあってゆっくり寝られるところ」と言った。この流れで、それは、つまり。
「い、言ったでしょ。私、」
「一夜限りだなんて、俺もしたくない。このまままた週明けから、今まで通りただの同僚としてなんていたくない」
「……」
「ダメか」
頭を掻きながら、眉を下げて。そんな顔されたら、この手を取らないなんて事、出来るはずがない。
それから私たちはまた脱衣所へ行って館内着から自分の服へと着替えて、早々に精算をした。受付にいた店員さんがさっき注意をしてきた人じゃなかったのが幸いだった。店を出て、タクシーを拾って一番近くのホテルへと行った。
私たちの関係が変わった夜、月島くんは一つだけ嘘をついていた。白み始めた空を見上げながら私は思う。ゆっくり寝られるなんて、全然話が違うじゃないか。
イベント以外で久しぶりに書いた作品。
1126の日に合わせたかったのに安定の遅刻でした。
月島さんと大きなお風呂のあるところ行きたい〜!