背徳の深夜残業
ありえない、ありえないありえない。時計を見ればもう少しで日付が変わる。なんでこんな時間まで残業しなきゃならないんだ。全部無理難題押し付けた挙句急に異動した営業部の人間のせいだ。なーにが今年度内、せめて年度初めすぐにはこのシステム修正完了させて納品させなくちゃいけない、だ。年度内っていつかわかってるのか、今月中だぞ。いやというよりそれ言ってきたのが二十日って事は実質十日以内だぞ。何度も何度も変更修正も言ってきやがって。結局三月三十一日、本日年度末だというのにまだ微調整を重ねてこんな時間まで残っている羽目になってんのに自分は本社勤務になったんでと軽い挨拶だけ残して去りやがって、せめてこの仕事の責任くらい取って異動しろって話なのよ。
「ねえ、そうは思わない月島くん」
「それは重々思っているし申し訳ないとも思っている。あいつが大変迷惑をかけて悪かった。だがすまん、それをギリギリで引き継がざるを得なかった俺のためにも、口だけじゃなくて手も動かしてくれないか」
「動かしてるよ! もうこれ以上指早く動かないってくらい! 見えない、この指さばき!」
「いや見えてる。すまん、後もう少しだから」
ぐちぐち言いながら手元だけは動かし続ける私の横で、月島くんはシステムにバグがないかをチェックしていっている。今は営業部に移っているが、かつてはシステム開発の方にも携わっていた彼はさすが仕事も早い。彼の手助けがなかったら納期には確実に間に合わなかった。いやそもそもこんな無茶な納期をどうにか変更する方向で頑張ってもらいたかった気持ちが強いが、引き継いだばかりではそれもままならなかったのだろう。恨むべきは諸悪の根元のあいつのせいだ。一年先輩だろうとなんだろうと、私は許さないぞ絶対。
「あとは、ここ、と、ここを修正して。あ、待ってこっちもだっけ」
「そこはチェック終わっている。問題ない」
「オッケー、ありがと!」
残りの修正を確認し、作業を進め、それを月島くんがチェックする。今夜中になんとか完成させて明日の朝イチには提出しなければいけない。というか、なんでこんな時間まで仕事してるのに明日も普通に朝からなんだ。また沸々と怒りが湧くけれど、一旦今はそれは置いておこうと息を長く吐いて心落ち着かせた。
「おわ、ったー!」
私が両手を挙げ体を伸ばしながらそう言うと、反対に月島くんは机に項垂れるように丸まった。あー……と小さな声を出しながらしばらくそうした後、姿勢を正し肩を回した。コキコキと骨の音がする。淡々と仕事をこなしていたが、やはり彼も疲れていたのだろう。
「ごめんね、ずっと私の愚痴聞かせながら仕事しちゃって」
「ん、まあいい。こんな時間まで残業させられたら愚痴も零したくなるだろう」
月島くんは一つもこぼさなかったのに? 優しいなと思いながらパソコンの左下に表示されている時計を見る。先ほどまで四桁の数字だったそこは、三桁になっていた。
「わー日付変わっちゃった」
「遅くなったな。ミョウジは家、どこだったか。送っていく」
「んー、いや大丈夫だよ。歩いて帰れなくもない距離だし」
「だったら尚のこと近くまででも送っていく。だがその前に一本吸ってきていいか」
「それはいいけど。むしろありがとう」
首を左右に傾けながら月島くんがタバコを持って出ていく。帰り支度をしてパソコンの電源を切ろうとした時に、今日の日付が四月一日に変わっているのを見て不意に私は思い出した。
あれ、今日って月島くん、誕生日じゃなかったっけ?
――確かそうだ。あれは数年前の四月一日、入社式の日。同期の子達とこれからよろしくねなんて挨拶をしながら歩いた帰り道、月島くんが慌ててその輪を外れてある人のところへ駆け寄っていった。髪に強いウェーブのかかった女の子。私たちより少し年下だろうか、まだ学生といった風情のその子ははにかみながら月島くんに何かを渡して去っていった。彼は頭をぽりぽりとかきながらそれを受け取り、また私たちの輪へ戻ってきた。
えぇー今の子誰、彼女? めっちゃ可愛い子だったね。こんなところまで会いに来てくれたの、健気ー? 何かもらったの、お祝い? 一緒に帰らなくてよかったの?
数人でそう囃し立てる中、月島くんは困ったように笑いながら「ただの幼馴染。この辺まで来たついでにってこれ渡されただけだ」と答えた。
「いや、ついでな訳ないでしょー。てかなにそれ、入社祝い?」
「あー、それと、誕生日祝い、らしい」
「誕生日なの? 今日?」
「あぁ、まあ」
「えー、おめでとう」
――その後の帰り道では、月島くんに何故か同期数人で一人一本の缶コーヒーをプレゼントして、それぞれ帰路についた。まだ学生ノリの抜けてない入社式の思い出だ。
誕生日を迎える夜に、残業付き合わせて悪かったな。まあこの歳になってくると、誕生日なんてそんなもんな気もするけど。だけどなんだか申し訳ない気持ちが勝ってきて、私は財布とスマホを持ってフロアを出た。一応、月島くん宛に「ちょっと下のコンビニ行ってくるね」とだけメモを残して。
数分後に戻ると、帰り支度を終えた月島くんが私を待ち構えていた。
「先に帰ったのかと思った」
「へへ、ごめんごめん。メモしてたでしょ、コンビニ行ってくるって」
「帰る時に寄ったらよかっただろう」
「まあまあ、どうせこの時間だからそう慌てずに座ってよ」
これから帰るのに?と言いたげに彼は眉を顰めた。机の上に買ったばかりのビニル袋を置いて再度座るように促すと、訝しげに彼は私に従った。
「月島くん、甘いの平気だったよね」
「ん? あぁ」
「コンビニので悪いけど、残業付き合ってくれてありがと。あと、誕生日おめでと」
ガサガサと袋からイチゴのショートケーキが二つ入ったパックと缶コーヒーを取り出す。ちょっとケーキに対しては大きめだけどフォークもちゃんとつけてくれていた。
月島くんは、目を丸くしてケーキと私を交互に見た。なんでとでも言いたげな顔をして。
「確か誕生日今日だったよね?」
「言ったことあったか?」
「うん。昔、入社式の時にね。ほら彼女が迎えに来てたじゃん」
そう言うと彼は、あー……と思い出すように呟いた後「だからあれは、彼女じゃない。幼馴染だ」とすかさず訂正した。どうやらその後も、二人の関係は特に変化がなかったらしい。あの時の空気は絶対幼馴染で済むものじゃなかったけどな。いやもしかしたら幼馴染兼元カノの可能性もあるけど。
「ま、とにかくおめでとう。ごめんね、これしかなくってさ。チョコとかのが好きだった?」
「いや、なんでも別に食べれる。すまん、ありがとう。いただきます」
二つ入ったケーキのうち一つをパックの蓋がわに乗せて自分の方へ寄せ、もう一方を月島くんに差し出す。こんな時間にケーキなんて食べちゃって、明日の朝体重計に乗るのが怖いな。いやでもこの時間まで頭を使ったんだから許されるだろう。そんな事を考えているうちにあっという間に二つのケーキはなくなった。
「あー、脳に糖分が渡ってる」
「ね。いやー、本当疲れた。でも間に合ってよかった。月島くんがいなかったら多分朝までかかってた」
「こっちこそ。これでメンツが保たれそうだ」
今度こそ本当に帰るかと立ち上がった拍子に、グーッと何かが鳴った音がした。驚いて隣を見ると、恥ずかしそうに笑う月島くんがお腹を抑えている。え、今のお腹の音? 今食べたばっかなのに? きょとんとしている私に向かって、彼は言い訳するように口を開いた。
「晩飯、ほとんど食べずに仕事してたからな。空腹を忘れてたけど、今中途半端に食べたことで腹がもっと欲しているみたいだ」
「なにそれ。でも確かに、ちょっとあれじゃ物足りなかったね。私も夕飯がわりに口にしたのゼリー飲料だけだし」
そう言っていると、私のお腹もきゅるると小さく悲鳴を上げた。人のこと言えないなと笑っていると、月島くんが「なんか食べて帰るか」と提案した。
「この時間に?」
「近所に遅くまでやってるラーメン屋があるんだ」
「こ、この時間に? ラーメン?」
深夜にケーキ食べてその後ラーメンなんて、さっきの残業分をもオーバーしてるんじゃないだろうか。流石にそれは体に毒な気がする。そう思うのに、「ラーメンも餃子もうまいぞ」なんて彼が言うもんだからお腹の方がその言葉に反応した。駄目だこりゃ、完敗だ。
「うー……行こう! もうこうなったらラーメン食べないと眠れない気がしてきた」
「ははっ、そうだな」
再びコートを羽織って会社の外へ出る。深夜の外気は冷たかったけど、だからこそ温かいラーメンが体に沁みた。翌朝やっぱり体重は恐ろしいことになっていたけど、それ以上に月島くんと一緒にいた時間が思いの外楽しかったからまあ、いいと思うことにした。
それから一年経った頃、残業もしないで二人でお誕生日を祝うようになるなんて、あの時は思いもしなかった。ね、基くん。
WEBイベント「いとしげラブ!2nd」にて展示した作品。当社比で割と口の悪めな夢主さんでした。同期の月島くんも夢がありますよね。