テレビから聞こえる天気予報を見ながら、窓の外を眺める。空気は冷えていそうだが、晴れ間の見える空模様。だけどどうやら今週末には、初雪が降るかもしれないらしい。
今週末。家に飾ったカレンダーに小さく花丸をつけていた、今週末。それは、関西へと出張で出ていた尾形が、一ヶ月を終え帰ってくる日であった。
元同僚で長いこと飲み友達だった尾形と互いの想いを確かめ合ったのが出張の出発の日。確かめ合った、と言ってもはっきりと好きと言い合ったわけでも体を重ねたわけでもない。ほんの二、三度唇を合わせただけ。それでも長いこと進展のなかった私たちには、十分過ぎるほどのことだった。
両想いだったのだと知ってからすぐに距離が離れたものだから、今までのように会うことは叶わず、代わりに日々メッセージでやり取りをし、たまに電話で声を聞いた。今まであまり電話はしなかったから、電子機器を通してとはいえすぐ耳元で尾形の声が聞こえることが何だかとてもくすぐったかった。声を聞けば会いたい気持ちはより積もり、だけどたった一ヶ月だからと私は尾形が戻ってくる日を指折り数えては待ち望んでいた。
だけど、そんな待ちに待った今週末。寒波が訪れ、初雪が降りしかもそれはかなりの量だという予報をテレビで気象予報士は告げていた。飛行機で帰ってくる尾形に、雪の影響がないといいけどとぼんやり思いながら私は身支度を整え、仕事へと向かった。
悪い予感とは当たるもので、金曜日の夕方から天気は崩れていき、今年初めての雪は無情にも降り積もっていった。尾形の乗る予定の飛行機は明日の午前中だが、このままのペースで雪が降り続ければ、もしかするともしかするかもしれない。仕事が終わって家に帰り、お風呂で体を温めた後にスマートフォンを見ると、尾形から着信が入っていた。その通知を見るやいなやすぐに電話を折り返す。
「もしもし? 尾形? ごめんお風呂入ってた」
『そうか』
「そっちは雪、降ってる? こっちは初雪が降ってるし、ちょっと積もってきたよ」
『こっちはそんなに。相変わらず寒いけどな』
「そっか。……明日、飛行機大丈夫そう?」
『どうだろうな。何にせよ空港までは迎えに来なくていいぞ』
「えっ」
突然言われた言葉に思わず小さく声を上げる。迎えに行くとも来いとも話してはなかったが、何となくそのつもりでいたからだ。
『この間みたいに来るつもりだったんだろう』
「まあ、そうだけど」
『空港まで結構距離あるだろ。来なくていい』
「……そう」
『……ははぁ、なんだしょぼくれた声出しやがって。そんなに俺に会いたかったか?』
電話の向こう側から揶揄うような声が聞こえる。きっといつものように自信満々な顔をしているのだろう。調子がいいんだから。そう思って言葉を返そうとしたのに、口を開いて出てきた言葉は自分でも驚くほどに弱々しく震えていた。
「……会いたかったよ。会いたいよ」
『……っ、珍しく素直じゃねえか』
「……なんちゃって。へへ、ドキッとした?」
急に気恥ずかしくなってそんな風に惚けたけれど、込み上げてきた涙につられてつい声がくぐもったような鼻声になってしまう。
『……ったく。いいから家にいろ。そんなに会いたいなら、家に行ってやるから』
「えぇ?」
『どうせ空港から俺の家まで帰る間にお前の家があるしな』
「まあ、それはそうだけど」
『……また明日連絡する。じゃあな』
「え、うん。おやすみ」
そう言って電話は切られ、一人静かな部屋に取り残される。まだしんしんと降り積もっていく雪を窓から眺めながら、どうか飛行機が飛びますようにと願っていた。
翌朝起きて少しして、尾形から連絡が入った。どうやら尾形が乗る予定の飛行機は欠航になったらしい。別の便に振り替える事になるだろうが、天候次第で何とも言えないとの事だった。
『仕事は大丈夫なの?』
『まあ、こればっかりはな』
『そっか、そうだよね』
『まあ、何とかするさ』
メッセージのやり取りをしながら、今日は電話じゃなくてよかったなと思った。多分、今日こそは取り繕える自信がなかったから。声を聞けば、会いたさは募るから。抑えきれない想いをティッシュで拭いながら、メイクをする前でよかったなとも考えていた。
本当なら今頃はもう空港まで向かっていて。尾形が到着するのはまだだろうかとソワソワしながら待っていただろう。久しぶりに会えるからと浮き足だって買ったスカートも今日は履かずに終わりそうだ。止みはしたけれど雪が積もった地面を窓から見下ろしながら、小さくため息をついた。どうせ出かける気も起きないから、今日は家で過ごそう。今日は無理でも、近い内に尾形が家に来るかもしれないから、せっかくだから家の中を綺麗に掃除しよう。そうして気持ちを紛らわせる事にした。
お気に入りの音楽をかけながら部屋中を隈なく掃除して、日頃ついサボりがちな場所まで徹底的に綺麗にした。ちょっとばかり早い年末大掃除の気分だ。時折スマートフォンを手に取って、尾形からの連絡を確認した。
『飛行機、飛びそう?』
『どうだかな』
どうだかなってどうなのよ。自分が帰って来れるか来れないかの状態なのに、相変わらずなんだからこの男。
先ほどまでの涙もどこへやら、少し呆れながらそんなメッセージを眺め、時計を見る。時刻はすでに十三時過ぎ。思ったよりも掃除に熱中してしまった。ご飯でも食べようかと一旦掃除をやめてキッチンに立ち冷蔵庫の食材で適当に作り遅めのお昼ご飯を取った。本当なら尾形と何か食べていたのだろうかと考えながら。
満たされたお腹を抱えながら食器を洗って片付けて、さて掃除を再開するかそれとももうゆっくり過ごすか? なんて悩んでいた頃、尾形から着信が入った。
「もしもし? どう? 飛行機、飛びそう?」
『さあな』
「さあなって……待って、尾形今どこにいるの?」
電話の奥からは、ざわざわとした人混みの中にいるような音が聞こえた。空港にいるのかとも一瞬考えたが、どこか違和感を感じたのは、尾形の声の向こうに聞こえる喧騒に、聞き慣れた音があったからだ。
「……尾形、今それ、どこの駅?」
『お前の家の最寄りだ』
「えっ!?」
『家にいるか』
「いる、けど、えっ? なんで?」
『そうか、じゃあまた後でな』
全く噛み合わない会話の後、ぷつりと電話は切れる。全く理解が追いつかないけれど、とにかくこの後尾形が家に来るらしいということだけがわかった。自分がすっぴんの部屋着だということを思い出し、私は急いで買ったばかりのスカートを取り出した後化粧台に向かったのだった。
朝がとにかく弱く、そして飲みごとが好きで帰りが遅くなりがちな私は、部屋を借りるときに何よりも駅に近い事を決め手に選んだ。多少壁が薄いだとか、廊下の足音が響くだとか、そんなことはどうでもよかった。だけど今は、そんな自分をひどく呪った。尾形がこの家に来るまで、きっとあと数分だ。その間にどこまで自分の顔を整えられるだろうか。
ベースメイクを施し眉を整え、いつもよりもややキラキラとしたアイシャドウを塗りラインを引いて、マスカラでまつげをそっと上向きに。リップの色を悩んでいたところで、部屋の外の廊下からガラガラガラとキャリーバッグを引くような音と聞き慣れた足音が聞こえた。
尾形だ。
そう思うと同時に私の体は動き出し、インターフォンが鳴るよりも先に扉を開けた。
「……ははぁ、よくわかったな」
「足音、聞こえたから」
「どうやらよほど俺に会いたかったらしい」
「……それは尾形もなんじゃないの」
意地悪な言葉とは裏腹に、彼はとびきり優しい目をして私のことを見ていた。
「でもどうやって帰ってきたの。あ、本当は飛行機飛んだの?」
「違う」
「え、じゃあ」
「新幹線は動いてたからな」
「えっ、じゃあ乗り継いで帰ってきたの!?」
「あぁ。昨日の段階で多分飛ばないだろうと思ってな。会社に確認したらそれでも経費で落ちるって言われた」
「昨日の段階で決めてたの? 何それ、じゃあ教えてくれたらよかったのに!」
「がっかりした後の方が喜びってもんは大きいもんだろ」
ニヤリと口角を上げて尾形は私の頬にそっと触れる。
「な、にそれ」
「何だ、嬉しくなかったか?」
「……」
「お前の声を聞いたら居ても立ってもいられなくて、少しでも早く帰れる方法を探したんだがなぁ?」
尾形のひんやりとした指が私の頬を滑り、そして唇を撫でた。
「あ、まだメイク途中」
「あ?」
「リップもチークもまだ、」
「……必要ないだろ」
そう言って尾形は、また私の唇を奪った。あの日空港でそうした時と同じように、だけど、あの時よりもずっと優しく。
「何も塗ってなくても、お前の唇も頬も赤く染まってるぞ」
誰のせいだと思ってるんだ、なんて思いながら、私も尾形に唇を重ねたのだった。
「そうだこれ、土産」
「えっ、ありがとう。何だろ」
「有名なプリンらしい」
「あ、神戸プリン? ……じゃない」
「壺プリンとかいうやつだ。賞味期限がすぐらしいから、早く渡そうと思ってな」
「……という口実を作って私に早く会いたかったんじゃないの?」
「ハッ、言ってろ」
そう言いながらも自身の髪を撫で付ける尾形を見ながら、きっと図星だったんだなと笑った。相変わらず素直になれない二人だけど、きっとこれから少しずつ変わっていく未来に想いを馳せながら、私は壺に入ったプリンを食べるのだった。