その花の花言葉は、

 休憩室の扉を開けると、様々な食べ物たちの匂いが混ざり合って私の鼻に届き、お腹の虫を刺激した。
 顧客対応をしていて昼休憩はずれ込んでしまったけれど、ピークの時間を過ぎた休憩室は人も少なく静かでいい。持参していた保冷バッグからお弁当を取り出して電子レンジに入れる。スイッチを入れてから、携帯の電源もオンにした。

 勤めて長いコールセンターは、個人情報の取り扱いにうるさい為休憩室以外での携帯電話の使用を禁じられている。不便を感じたこともあるが、子どももおらず緊急の電話もかかってくる事は少ないため、今はもう慣れてしまった。
 電子レンジが弁当を温め終えると同時に、電波を拾った携帯電話が息を吹き返したようにブブブと震えながら通知を並べ上げた。
「……あれ、珍しい」
  その内の一つが百ちゃんからのメッセージである事に気づいて、思わず小さな独り言が漏れる。慌てて周囲を見回したが、幸い近くに座っていた人物はイヤホンをつけて動画を見ているのかゲームでもしているようで、私の独り言は拾い上げなかったようだ。
 空いている場所へと移動し、弁当を広げて手を合わせてからメッセージの中身を確認する。残業の連絡が来るには早過ぎるし、もし忘れ物をしたという連絡だとしたら気付くのが遅過ぎたけどどうしたのだろう。もしかして急な接待とかで夕飯はいらないという連絡かな。
 そう思いメッセージを開くと、そこには一言「弁当美味かった。いつもありがとう」と書かれてあった。

 「なになに? どういう風の吹き回し?」
「別に、思ったから送っただけだ」
「ふうん? そんなに今日のおかず気に入ったのがあった?」
 自分で作った弁当を口に運びながら、特に変わり映えのない中身だったけどな? と首を傾げた。白ごはんに昆布を乗せて、昨夜作った鶏つくねにエリンギとアスパラのバター炒め、にんじんしりしりと味玉。よく詰めているものばかりな気がするけれど。
「そういう訳じゃねぇ」
「ふーん? こちらこそいつも綺麗に食べてくれてありがと!」
 こんなメッセージが送られてくる事は珍しく、それだけで上機嫌になってしまう。我ながら単純なものだ。お昼ご飯を食べながら、さて今日の夕飯はどうしようとそんな事を考えていると、百ちゃんからまたメッセージが届いた。
「お前、今日は何の日か知ってるか?」
 文章を眺めながら、頭を捻る。今日。一月三十一日。何の日だろう? 百ちゃんの誕生日は十日前だったし、私の誕生日でもない。二人の付き合った記念日や結婚記念日というわけでもない。
 しばらく悩んだが答えが出てこなかったので、素直に「わかんない! 何の日だっけ?」と送ってはみたが、そこで返事は途絶えてしまった。時計を見ればちょうど十三時。おそらく百ちゃんの方の昼休みが終わったんだろう。
 こんな気になる謎を残して一人で仕事に戻っちゃうなんて、と思いながらご飯を食べてまた少し考えたけれど、やっぱり思い当たるものはなくて。帰ったら聞いてみようと思ってまた夕飯の献立を悩む事にした。

 そうしてまた午後の仕事に戻って、一息つく間もなく顧客対応にまた追われ、百ちゃんからのメッセージの事もすっかり忘れて夕方になった。タイムカードを押して会社を出て、再び携帯の電源を入れると今度は「今日は定時で帰る」とだけ連絡が来ていた。

 帰りにスーパーに寄って買い物を済ませて家路についた。炊飯器のスイッチを入れたところで、玄関の鍵が開く音がして、いつもよりも随分早い百ちゃんの帰りに思わず駆け寄る。
「……どうしたの、それ」
「ん」
「……え、待って。今日って本当に何の日?」
 おかえりを言うよりも先に、そんな言葉が出てしまったのは許して欲しい。だって、玄関に立っていた百ちゃんの腕にはチューリップの花束と、ケーキが入ってそうな小さな箱があったんだから。

「え、え、え? 何、記念日は私忘れるはずないと思うんだけど、何だっけ今日?」
「別に、結婚記念日でも付き合った記念日でも、ましてや出会った記念日なんかでもないぞ」
「そ、そうだよね?」
 渡されるがままに花と箱を受け取ると、百ちゃんは目も合わせずにコートを脱ぎながら部屋の中へと入っていく。いまだに頭の中に疑問符を浮かべたままの私は慌てて百ちゃんを追いかけると、彼はそれはそれは小さな声で呟いた。
「今日は愛妻の日なんだと」
「……え?」
 よく見れば花束にはメッセージカードが付いていた。
 『いつもありがとう』とシンプルなメッセージの下に小さく今日の日付と愛妻の日と書かれたそのカードを見た後で、顔を上げるとじっと私の反応を確認するように見つめている百ちゃんと視線が絡み合う。
「……ふふ」
「何だ」
「それで、お昼もメッセージくれたの?」
「……まあな」
「愛妻の日かぁ、知らなかった。百ちゃんよく知ってたね?」
「……職場で、弁当食ってたら同僚が言ってたんだ」
「へぇ、そうなんだ! それで思いついて?」
「ああ」
「うわー、嬉しい。ありがとう! 早速飾っちゃお!」
 はしゃぎながら花瓶を取り出す私の事を百ちゃんは頭を撫で付けながら眺めている。自分の感情を隠したい時の百ちゃんの癖。さしずめ今は照れ隠しかな?
「百ちゃんにとって、私って愛妻なんだ」
「調子に乗るな」
「ふふ、はーい」

 百ちゃんは怒ったように眉を顰めて着替えてくると去って行ったけど、それだって照れ隠しなのはちゃんとわかってる。そんな愛する旦那様のための日はないのかしらと考えながら、私はオレンジ色のチューリップをリビングに飾りつけた。百ちゃんにぴったりの花だな、なんて事を思いながら。

 おまけの話。
 
 今日は内勤業務だけだと昨夜何気なく伝えていたら、出社する前に「はいこれ」とあいつから保冷バッグを手渡された。あいつはオレンジで俺はネイビー。色違いで買ったお揃いの保冷バッグと弁当箱は、買ったはいいものの営業職の俺には出番があまり回って来なかった。外回りが多く、どうしても昼食時間がずれ込んでしまうし、何より急遽職場の人間とそのまま外で食事をするという事も少なくないからだ。
 だと言うのに、毎日のように「明日のお仕事は?」と確認をし内勤業務のみだと知るとニコニコと笑いながら弁当作りの準備をきちんとし終えてからベッドに潜り込む。俺の嫁とは、そういう奴だった。
「あれ? 百之助、今日は弁当なんだ?」
「……あぁ、今日は外回りの予定がなかったからな」
「ふぅーん、愛妻弁当ってやつ。いいねぇ~」
 嫌な奴に見つかった。同期の宇佐美は揶揄う理由を見つけたとばかりにニヤニヤと笑いながら覗き込んだ。くそ、見るな。減るだろうが。
「尾形さんって、内勤の時はいつもお弁当ですよね。外回りの時も奥様が作ってるんですか?」
「いや、外回りの時はいらないと伝えてる」
 宇佐美があんまり大きな声で話しかけてくるもんだからか、近くにいた事務の女も弁当を覗き込んできた。
「えぇーじゃあ日によってバラバラって事ですよね? 予定っていつもギリギリじゃないとわからないし。なのに内勤の時にはいつもきっちりお弁当作ってくれる奥様すごい!」
「……別に、あいつはいつも自分の分作ってるから」
「それでも、おかずの量とか一人分と二人分じゃ少し勝手が違うじゃないですか。自分の分だけなら手を抜けるだろうけど、そうもいかないだろうし。愛されてますねー!」
「だってさ、よかったねぇ百之助ぇ?」
「……」
 いつも弁当を作ってきている(少なくとも記憶の限りでは)事務の女が言うのなら、そうなのだろう。何気なく受け取っていたけれど、ありがたい事だったのかと思いながら箸を進める。すると、右肩に肘を置いて宇佐美が口を開いた。
「そういえば、今日って愛妻の日らしいよ?」
「愛妻の日?」
「あぁ! 最近お花屋さんとかでよく見かけます! 一月三十一日は愛妻の日、ですよね! うちの近所の花屋さんでは確かチューリップを贈るといいってポップが出てたかな?」
「……へぇ、そうなのか」
「愛妻家の百之助にはピッタリなんじゃな~い?」 
 そう言い残して宇佐美は自分の昼飯を食べるために席へと戻った。何となくスマホを開いて、あいつに弁当への感謝を伝えるためにメッセージを送る。定時で上がれれば、家の近所の花屋には行けるだろう。あいつの好きなオレンジ色のチューリップでも買って帰るかと思いながら、俺は弁当に入っていた味玉を頬張った。いつの間にか食べ馴染んでしまった、ほんのり甘い味をじっくりと噛み締めた。

イメージ的にはいい夫婦の日の二人だったりします。
ちなみに、オレンジのチューリップの花言葉は「照れ屋」だそうです。
初出・2023/02/01